• 店舗公式

タマシイクリニック ガイキコウリョウホウイン

魂クリニック 外氣功療法院

病の原因は見えないエネルギー 🔮占い癒し処 溝の口🔮始めました!

4.08
口コミ
12件
写真
9件
更新日

【霊性を磨くことが地球人としての行い】

【霊性を磨くことが地球人としての行い】
スピリチュアリズムによる善と悪について

人間は自分や他人の行為・考え方に対して、善し悪しの判断を下します。しかし何を善とし何を悪としているかを一歩踏み込んで考えてみると、さまざまな判断基準があることに氣がつきます。宗教や道徳では、この善と悪の問題が重要なテーマとされてきました。現在に至るまで地球人類は、善と悪についての明確な見解を持つことができずにいます。靈的事実を根拠としない人間を中心とする立場からは、普遍的な善と悪の観念は出てきません。ここで靈的事實に基づくスピリチュアリズムの「善悪観」を見ていきます。
(一)従来の善悪観
◎自分を中心とする善悪観と人間同士の争い
人間は社会生活を営む中で、しばしば他人との善悪の考え方の食い違いに遭遇します。一般に人間は、自分や自分たち(または所属するグループ)の考えを正しいと思いがちです。そして、それと合わない相手を間違っていると判断することになります。こうした善と悪の考え方の食い違いは、家庭内の人間関係から社会・民族・国家にまで及びます。そこからさまざまな爭いが発生するようになり、時には戰爭という人殺しにまで至ってしまうことになります。
二十一世紀の地球上では、多くの民族や国家の間で、妥協のない非難の応酬が繰り返されています。お互いが自分たちの正義を主張して、一歩も譲ろうとしません。こうした善と悪・正義と悪をめぐる自己主張によって地球上には、いまだに悲惨な状況が続いているのです。また善悪に対する考えは、時代によっても異なっています。一時代昔には善とされていたものが、その後、悪と見なされるようになることがあります。
また同じ時代に生きる人間同士であっても、世代によって善悪の考え方に違いがあり、社会問題が発生しています。年寄りと若者が、善悪観や価値観をめぐって決定的に対立しているような場面を、たびたび目にします。こうした状況を総合的に考慮してみると、これまでの地上における善と悪の基準は、きわめて相対的であり流動的であったことが分かります。その最大の原因は、人類が等しく認め受け入れることのできる「共通の世界観・人生観」がなかったからです。そのため人々は、自己の利益(利害)に基づく正義を主張するだけに終始し、お互いが歩み寄ることができなかったのです。
◎宗教の善悪観
では宗教においては、善と悪をどのように説いているのでしょうか。宗教でも、自分たちの教えを無条件に善としています。多くの場合、その宗教の教義が善の基準となっています。したがって宗教ごとに善悪の考え方が異なることになります。宗教組織というグループを単位として善と悪が判断され、主張されるようになるのです。その中で特に世界宗教(バチカンが宗教支配の大元)といわれる巨大な組織と信者を抱えた宗教の善悪観は、人々の意識を強烈に支配し、社会全体に大きな影響を及ぼしています。
そして当然のこととして他の宗教と激しく対立し、妥協なき爭いを引き起こしています。“自分たちの宗教こそが正義である”という考えから一歩も出ることができず、自らの善悪観に固執することが信仰であると思い込んでいます。自分たちの教義と異なる考えをすべて悪と見なすため、宗教の壁を乗り越えることは容易ではありません。このため宗教の絡む爭いは、最も陰惨な結末を迎えることになります。そもそも宗教とは、人類に幸福をもたらすはずのものなのですが、その宗教が言語に絶するような悲惨で残酷な爭いを引き起こす元凶となっているのです。
◎キリスト教の善悪観・仏教の善悪観
キリスト教は世界最大の宗教ですが、そこでは善と悪をどのように考えているのでしょうか。キリスト教では、世界を「神とサタンの対立」という構図で考えます。すなわち神を中心とする善の勢力と、サタンを中心とする悪の勢力の二大勢力が対峙(たいじ)しているものと見なしているのです。キリスト教では、この世のすべての悪は、大もとをたどればサタン(サタニズムといわれる悪魔教)から始まっているとします。しかし結論を言えば、キリスト教の善悪観は明らかに間違っています。
靈的事実として靈界にサタンはいませんし、サタンを中心とする悪の一大組織・一大勢力も存在しません。キリスト教は教義の理論化をはかる過程で、神とサタンが対立するという善悪観を、人間の内部における「靈と肉の対立」の問題として展開するようになりました。そして肉体とその欲望を罪悪視する、きわめて偏狭で極端な“罪思想と禁欲主義”を生み出しました。
一方、シャカ仏教では、人間が苦しみを持つのは眞理(法)を知らないところに最大の原因があるとします。眞理を知らないために我執にとらわれ、そこから苦しみが発生するようになると考えました。悪しき行為は欲望・執着に基づいており、我執を否定する修行を通して、もろもろの煩悩(ぼんのう)の一つひとつが断たれるようになると説きました。「眞理(仏法)」を知らないこと、すなわち「無明・無知」こそが人間の本来性を失わせる原因であり、根本的な悪と考えたのです。
(二)地上への再生と運命の決定
地球人類救済を目的とするスピリチュアリズムにおいては、善と悪をどのように教えているのでしょうか。靈的眞理に照らしてみたときの善悪観とは、どのようなものなのでしょうか。
◎靈的成長が善悪の基準
靈界・宇宙のすべてが神によって造られている以上、当然「神の意志」が善悪の基準となります。創造の業に着手された際の神の意図が、人類にとって普遍的で共通の善の基準となります。地球人類は神によって一人の例外もなく、永遠の靈的成長の道をたどるように造られました。すべての人間が果てしない進化向上の道を歩むように創造されました。人間をどこまでも「靈的成長」を求める存在として誕生させたという事實に、神の意志が明確に示されています。この神の意図こそが、人間における善と悪を決める基準となるのです。
スピリチュアリズムは画期的な善と悪の基準を示しています。それは——「善とは靈的成長を促すもの」「悪とは靈的成長を妨げるもの・靈的成長に反するもの」ということです。スピリチュアリズムは神の意図を基準に、このように実に単純に善と悪を定義しています。程度の差はあっても、少しでも靈的成長にプラスとなるものは善であり、靈的成長にマイナスとなるものは悪であると説いています。これほど単純明快にすべてを説明することができる「善悪観」は、これまでの人類史上には存在しませんでした。
◎善と悪の具体的内容
では、靈的成長を促すもの(善)とは、具体的にはどのような内容を指すのでしょうか。靈的成長をなすための大原則・基本条件とは、「靈的成長を促す摂理(法則)」のことであり、それは次の二つから成り立っています。その一つは“靈主肉従”です。これは靈を肉体よりも優位におき、物欲・肉欲に振り回されないようにすることです。もし靈が肉に抑え込まれ、本來の働きができないようであれば靈的成長をなすことはできません。靈主肉従とは言い換えれば、「靈的意識を心の中心に据えて、心全体を靈の主導権のもとにおく」ということです。
この靈主肉従なくして地上人は、靈的成長を達成することはできません。靈主肉従の状態を保ったうえで、初めて靈の持つ本來的能力を発揮することができるのであり、魂の成長が可能となるのです。靈的成長をなすためのもう一つの条件(善)は利他愛の実践です。人間は利他愛の実践を通して神の愛を受けられるようになり、神に近づいていくことができるようになるのです。地上人が靈的成長を達成するためには、“霊主肉従”と“利他愛の実践”の二つが必須条件となります。
この二つが靈的事実に基づく善の具体的内容——すなわちスピリチュアリズムが教える善なのです。靈的成長を阻害するもの(悪)とは、今述べた善と反対の内容のことです。靈的成長を妨げ阻害するものは“肉主靈従”と“利己主義”です。これがスピリチュアリズムの説く悪の具体的内容です。肉主靈従とは、「物欲・肉欲が心の中心を占め、心全体を支配する」ことです。肉主靈従に陥っているときには心全体が「利己的・自己中心的」になり、とうてい靈的成長は望めません。
◎靈と肉の闘いについて
キリスト教の善悪観の特徴は、善と悪の関係を神とサタンの関係と靈と肉の関係として考えることです。靈と肉の問題は、キリスト教の中で重要なテーマです。この問題に対してスピリチュアリズムは、靈的事実に基づいて明快な見解を示しています。靈界人には肉体がないため、地上人のような物欲・肉欲はなく利己的思いもありません。完全な靈主肉従の状態が保たれるようになっています。このため靈界には、地上で当たり前と思われている悪の要素が全く存在しません。
(※幽界下層の地縛靈のいる場所は例外です)
すなわち靈界は善(利他性)のみが存在する世界、善一色の光り輝く世界となっているのです。もちろん靈界でも、善の程度の違いはあります。一人ひとりの間に、利他性の深さ・広さ・強さの差はありますが、地上のような悪(利己性)は見当たりません。地上人は肉体を持っているため、靈主肉従の状態を保つことがきわめて困難です。眞剣なスピリチュアリストであっても、なかなか靈主肉従の状態を維持できません。
毎日の生活の中では、靈主肉従の状態と肉主霊従の状態が交互に繰り返されることになります。そのため靈的に成長すればするほど内面の闘いが熾烈(しれつ)になり、多くの苦しみを持つようになります。従来のキリスト教は、この肉主靈従に傾きやすい心の傾向を罪と見なしました。人類始祖の原罪を引き継いだ人間は皆罪人であるため、肉体の誘惑にさらされると考えたのです。しかし靈的事實として、原罪はありませんし、それをつくり出したとされるサタンも存在しません。
当然、人間は罪人ではありません。人間には靈的成長の度合いの違いがあるだけなのです。靈的に未熟な人間と靈的に進歩した人間——つまり人それぞれの靈的成長レベルがあるということなのです。人間は肉体という物質の道具をまとっているため、絶えず物欲・肉欲にさらされることになります。それゆえ靈的成長を目指す人間は、否応なく悩みを持つことになるのです。しかしそうした内面の葛藤は、神が子どもである人間を成長させるために与えた課題であり、魂の訓練内容なのです。
それはまさに神意(あい)から出たものであり、ありがたく受け止めるべきものです。内面における靈と肉の闘い、すなわち靈主肉従の努力は、神とサタンの闘いではありません。自己の靈的成長のための闘いなのです。スピリチュアリズムが明らかにした善悪は、靈肉両者間のバランスによって決まるものであり、靈だけが善いものであって肉が悪いものということではありません。両者は、ともに神によって与えられた必要なものなのです。地上にいる間は、それを自分の意志でコントロールし、靈主肉従の状態にもっていくための努力をしなければならないということなのです。
◎悪の繁栄?
人はよく、この世は悪ばかりが繁栄している。利己主義者の方が成功していると言って嘆きます。しかし、それは神の造られた“因果(カルマ)の法則”に立って物事を眺めていないところからの間違った見方です。地上人生は永遠の靈界での生活と比べれば、実にわずかな期間にすぎません。それは靈的成長のために与えられた物質世界での貴重な訓練期間なのです。そうした地上人生において利己的行為をするということは、せっかくのチャンスをわざわざドブに捨てるようなものです。それは最高の靈的損失を被っていることなのです。
永遠の宝を自ら捨て去ることほど愚かなことはありません。利己的行為に走っても何の利益も得られないのですが、死後に待ち受ける靈界の事實を知らないために、目先の価値だけを追求してしまうのです。分かってみれば、そうした者は實に哀れな人間と言えます。利己的行為という神の摂理に反した愚行は、靈的成長を阻害するばかりでなく、いずれ罪滅ぼしのための苦しみを招くことになります。いつか必ず苦しみを通して自分の罪を償わなければならなくなります。
誰もその法則から逃れることはできません。”利己的な歩みをして、決して得をすることはない。また自己犠牲の歩みをして、絶対に損をすることはない“と高級靈は絶えず強調しています。地上人生というわずかな期間だけで損得を考えると、何が正しいのか分からなくなってしまいます。物質的に惠まれることが、必ずしも幸福とは言えません。それは靈的に見ると、むしろ不幸である場合が多いのです。
◎物質世界での生活の意義
地上生活の意義は、善悪同居する中で、その両方の世界を体験するところにあります。神がわざわざ地上世界という物質的環境を造ったのは、そこでの厳しい過程を通して善(利他性)の大切さを悟らせ、善を実行する意志を強化させようとしたからです。悪(物欲・利己性)の誘惑にさらされ失敗と挫折を繰り返しながらも、何とか困難を克服しようとする闘いを通して人間の靈的成長は達成されるようになっています。わたしたちは善と悪の双方を体験するために地上に生まれ、肉体を持って生活しています。そして靈肉の葛藤を体験しながら“善への意欲”を高めていくのです。まさに“苦しみ”の中で魂を成長させる所が、この地上世界なのです。


Facebook 廣瀬仁さんの文章引用

カテゴリー別

お知らせ
53

日付別

2024年09月
1
2016年03月
1
2016年01月
1
2015年12月
1
2015年09月
1
2015年06月
2
2015年04月
2
2015年02月
2
2014年12月
1
2014年10月
3
2014年09月
3
2014年08月
14
2014年07月
13
2014年06月
4
2014年03月
1
2014年02月
1
2013年07月
1
2013年02月
1

概要

住所

神奈川県川崎市高津区溝口2丁目26−6

アクセス

最寄駅
バス停
  • 溝の口から86m (徒歩2分)

クーポン

お知らせ

更新日

占い癒し処 溝の口オープン!!

占い癒し処 溝の口オープン!!の写真
更新日

御守りをパワ−アップします!

御守りをパワ−アップします!の写真
更新日

『病は氣から』

『病は氣から』の写真

口コミ投稿、写真投稿で最大20ポイントGET