この世に霊を信じない方が多くいます。
この情報社会に多くの方が洗脳されています。
霊を信じないとなると霊長類である人とはいったい何ですか?
見えているものだけ、五感で感じたものだけが存在しているわけではありません。
貴方は、折り紙を半分に切ります。
その半分にした折り神をまた半分に切ります。
この作業を続けていきますと、いったい折り紙は無くなってしまうのでしょうか?
半分に出来る技術がないだけでは?
性能の高い顕微鏡で見る事ができなくなったので何もないと表現するものですか?
私達の科学(化学)が無限の世界に追い付いていないだけではないでしょうか?
科学(化学)で証明できないことは真実ではないというのはあくまでも洗脳にすぎません。
この資本主義社会を維持するために、邪魔な発想を消そうとしているだけではないでしょうか?
無限であるということが真理であり真実ではないでしょうか?
無限であるフリーエネルギーとは、命であり、神の法則ではないでしょうか?
私達の氣の世界は、この無限である命を観ています。
生命体は、いつか死を迎えます。
生命体は生体(體)と命体(命・魂)から成り立っています。
死というのは、生体(體)が死体になるだけです。
命体(命・魂)は永遠に生きているものです。
この命体が神の法則性で動いているだけです。
神の法則にある氣は命体のためにあるものです。
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氣功を行なって體が良くなるということは、霊主體従の法則性によって行われているからです。
命体である霊性の力を調整し強化する事で、身體は自然治癒する力を出し始めます。
必ずや、身體は綺麗になろうとして、体温を上げて、血流を良くして、悪い物質(酸化物質等)を排毒しようとします。
これが毒素量の多い方は好転反応として症状が出る時もあります。
また、命体である霊性を強化して生命体を維持できない事もあります。
自然界は枯れるものです。
いつか、生体である體は衰弱し、強化している命体(命・魂)に付いていけなくなります。
これを枯れる死と言い、命体は成仏を願い来世のために生体から飛び立つものです
しかし、命体の力がない死を腐る死といい、死後を来世のために生きる道さえも分からず彷徨った命体として生きることになります。
私達の氣で生命を助ける事が出来ない事もありますが、必ずや彷徨わない命体にすることだけはお約束できるのが外氣功療法です。
