島津稲荷神社

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住所
宮崎県都城市郡元4-23-17
アクセス

都城駅から2.1km

旧藩始祖島津豊後の守忠久の創建なり。
旧記忠久の母丹後の局(※1)懐妊の時、治承(※2)三年伊豆の国より日向の国へ赴任の途次、摂州(※3)住之江の里(※4)で、産時となった。当たりに産屋を探したけれども適当な所がなく、十二月晦日の夜住吉の杜より南樹の下の石の上に乗り、そこにてご出産の際大雨となり、もとより闇黒のため進退きわまったところ、畏くも神あり、火を灯して終夜補佐してくれた。
やがて忠久成長し、その霊験著しいことを感じ、十八歳にて薩摩・大隅・日向三州の守護職に任ぜられ、任に赴こうとし京より稲荷を奉り来て、薩摩国出水郡山門院に着任したのは建久(※5)七年(1196)丙辰八月二十三日であった。その後日州へ移り、領内を庄内と称し、北郷の安久村堀之内村へ居を構え、堀の内御所と称えた。後島津の庄郡元祝吉へ本拠を移し、祝吉御所と称した。初任の地安久には、八文字島津民部大輔と称する豪族が居住していたが、忠久公入所後土佐へ移住し、忠久公は島津民部の旧称を襲い、島津判官忠久と称し、これを不朽に伝えるに至った。居館も島津殿または島戸といい、或は稲荷の御立所で郡元とも称したと言う。
稲荷神社は、祝吉御所を西方に至る十町の地にあり、その創建は建久八年(1197)丁巳九月七日午の日に社柱立てをし、同月十九日の午の日に勧請する。当日をもって年中の大祭日と定め、今にこの日を奉祭施行している。以来島津家の産土神として殊更に崇敬を極めた。社殿の両側に大杉二本があり、これは忠久自ら植えおきしたもので、当社を往古は「島津稲荷」といっていた。また祭事には代参を恒例とし、さらに別当正覚院和光寺(真言宗鹿児島大乗寺の末派)を草創、山号命婦山と称した。神領は慶長十七年七月に二百三十石となり、その後元文元年には神領高五十三石に減じたが、領主領民の厚く崇敬する社で、参拝のたえることはなかった。明治維新後稲荷神社と改称し、村社に列した。明治四十年二月、神饌幣帛供進社に指定された。
境内社として、命婦神社(祭神 倉稲魂神)、御年神社(祭神 大年神、若年神)、神門神社(祭神 櫛磐牖神、豊岩牖神)、貴船神社(祭神 高龗神)がある。

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島津家由来の神社

4.00
投稿日

都城市郡元にある神社です。街中にある島津家由来の神社で、この神社の特徴は白い大きな鳥居が入り口にあることで、さらに住宅街を通ると赤い小さな鳥居と社殿があります。敷地内には石造りの灯篭や石碑などもあり、所々に島津家の家紋を見ることができます。また敷地内には稲荷神社の由来などに関することが記載された看板などもあり、第二次世界大戦の平和祈念碑などもある、地元で愛されている神社です。

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概要

店舗名

島津稲荷神社

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電話番号

住所

アクセス

最寄駅
バス停
  • 郡元5丁目から310m (徒歩4分)
公開日
最終更新日

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