気付くというか、学ぶことの枠が大きい
カラダの使い方を基本から教えてもらえました。
凄い勉強になりました。
あ、今も継続中です。今は肩甲骨まで到着しました。
自分の身体の状態を通して、自分の何が問題だったのか、課題は何か、どうしてそうなったのか。先生が一緒に考えてくれて、自分でも考えて。
「あ、ひょっとして」が沢山出てきて、「あ、それだ」が沢山出てきて。自分が良いと信じていたモノがドンドン「カラダを複雑にしていた」と知って、自分は一体何をどう信じてきたのか考え直して。
あ、そうだ。私は見つけた情報、触れた情報を「疑う事なく」勝手に「そうなんだ」と信じていただけなんだ。とここに来て初めて知れました。
ヨガ、ピラティス頑張ってました。パーソナルだって頑張ってました。でも頑張る程に何かカラダがおかしくなる。先生には褒められるけど、健康ってこうだったっけ?と何か腑に落ちない。
でも頑張ってるから+にはなってるはずだと信じてました。信じたかっただけだと知りました(汗
どうしてそれが問題なのか。どうやって今みたいな状態になっているのか。先生は1つ1つ全部を理論的に説明してくれました。細かすぎて私にはわからない事もあったけど、先生は理路整然と説明をしてくれます。「わかっている人だ」とすぐにわかる。先生は私に「説明」こそすれ「説得」はしていない。
そう考えると今までは沢山の「説得」を受けてたんだなぁと改めて実感。言われるがままに通っていた自分を反省。
予約も凄いシンプル。今までは「次はいつ来ますか?今決めてしまおう」と底に私はいませんでした。でもここでは「〇日以降で検討して下さい」とあっさり。え、自分で予約って決めていいんだ?これが私には画期的。そうか、それでいいんだって思った。
先生の動きと私の動き、鏡の前で見ると全然違う。違うから私の身体には課題がある。だから課題をこなしていけばいい。悩むのは課題が全部終えてから。ああ、とってもシンプルでわかりやすい。私には向いているかも。
私が今まで聞いていた事、おススメされていた運動、禁止されていた運動、1つ1つを先生に説明して、1つ1つを整理する。人によって解釈は違ってくると思うけど、私は先生の意見に従うと「自分で」決めた。
そうか、ヨガをする、ピラティスをする、パーソナルに行く、じゃないんだ。「誰を頼るか」の問題だったんだ。
私は自分の中にあった大きな勘違いにここで気付けたと思う。
先生も言ってました「何、よりも誰、が先」だと。
私は先生の事は友達にペラペラ説明ができる自信がある。先生はそれ程に個性的かつわかりやすい。そして先生は本当に患者?生徒?と良く会話をする。本当に沢山の事をお話します、施術を通して。
でも、今まで通った先生は「とても良い人」「優しい先生」「凄い資格がある」「凄い実績がある」といったボンヤリとした紹介しかできない事にも気付いた。私は先生をよく知らないまま通っていた。先生も踏み込んだ事は聞いてこない。お互いの関係性が本当にボンヤリしていたと思う。
やっぱり一番の課題は私自身の中にあったんだなと今なお思う。
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こんな物語もある
奥さんから紹介された。そしてこちらに来た。
先生が色々と説明してくれるが難しいのでこう伝えた。
「難しい話はわからないが、言われた通りにすれば良くなるのか?」
先生の答えはこうだ。
「立場上、求められる結果保証はしかねるが、カラダが変わる事は約束できます」
カルテは7割が×だった。それを7割〇に変えるまでは従おうと決めた。私の課題は腰だったが、腰は足腰が安定すれば大丈夫でしょうとのことだったので。
これが首肩だったらもう少し先の話になっていたらしい。
そこらへんの理屈はよくわからない。何せ素人なのだ。
とにかく言われた通りにした。キチンと先生が教えてくれた通りにした。
した。
言われた通りにしてみた。
腰の問題、なくなった。
奥さんの言った通りだった。
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世界が何度も変わる。最後にドカンと花火が上がる
どう表現したらここの良さ、というか特殊性?が伝わるのかなと悩み始めてはや1年。卒業してからもう1年経ったけれど、まだこうだ!という表現がはっきりとしていない。迷う。
でも迷い続けていたところでいつまで経っても書けないので現時点で自分が思っている事を書こうと思う。
まず、私個人の感想です。健康食品の宣伝と同じだと思ってもらっていい。あくまで私個人の感想です。
世界が変わるよ、という話を聞いて受けてみた。それについて私が感じてること。それは
「世界が変わる瞬間は何度かある」
まずこれ。
私は何回あっただろう。割とあった。
ー「股関節」と「肩関節」を使えた手ごたえを感じた時
ー「呼吸」で色んな所が順番に膨らんで萎むのを感じた時
ー「重心」位置をキチンと知った時
ー「かかと」と「爪先」の違いを実感した時
ー「屈伸」をキチンと知った時
ー「歩く」で視野が広がった時
ー「背骨」がしなる感覚を掴んだ時
ー「手足」が背骨で繋がった感覚がわかった時
ー「踵重心」の力が頭まで伝わった時
あ、なんか割とあるな
こんな感じで1つ気付く度に世界が変わっていった。本当に変わっていく。今までの世界と今見ている世界が違う。いや、世界は同じ。自分が変わった。
そんな経験、ここでしかしたことない。
そしてとっておきの気付き。これは世界がぶっ飛んだw
ー宿題が全て「歩く」「立つ」に繋がっていたと気付いた時
「立つ」と「歩く」は分解して動きを繋げると、宿題の動きの集合体だってわかった。
先生本当に育ててくれてたんだ。自立できる様にって。って感動した
本当にここは「先生」がいる。「専門家」じゃなくて「先生」がおるんよ!
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民間資格への偏見が吹き飛ぶ
病院の先生に紹介をされました。病院として紹介はできないからあくまで「個人的な紹介」という形になるけど、という形でした。
民間療法というものへは余り良いイメージは持っていませんでした。その時に通っていた整骨院の先生から「無資格者は危ない、素人だ」と言われていたからです。「自分達の業界を乱されている」とまで。そうか、そんなに身勝手な人達なのかと完全に思い込んでいました。
その先生は地域で有名でアスリートも何名も抱えている先生だから完全に信頼をしていました。なので、紹介をされたもののちょっと様子見をしていた感じです。
初めて検討したのは紹介されてから半年後くらい。カラダの状態が余り変化せず、流石にこのままだと困ったなと焦りだしたときです。病院の先生には「付き合いがあるから中々・・」と言葉を濁し、通っていた先生には「少し問題が根深いな」と言われ、いつまでこのままなのかと不安が膨らむ。
状況に変化を与えたいな、きっかけが欲しい。そう思って予約を入れました。朝にかけて夜には受けたいと思ったら、最短で翌週しかないと言われてしまい意気消沈。すぐに受けられるものじゃないの?と理解が追い付かず。
で、すぐじゃないならいいや。と暫くまた様子見をしていました。
でも整骨院ではやはり変化が見られない。益々マズいと思い、改めて予約をする。「前に空いていた時間で予約が取りたい」と伝えると「埋まってしまっているので、その翌週になります」とのお返事。
私はそこで気付いた。自分が勝手に「選べる立場」だと思っていた事に。この院の施術を受けようとしているのは私だけじゃないし、敢えて私に便宜を図る理由も無い。
何を勝手に自由に予約できるものという感覚になっていたのか。
改めて空き時間を確認予約を入れる。問診はオンライン。今時な感じ
初回を迎える。
普通の家。にまず驚く。正に院!という感じの外装ではなく内装も普通に家。手作り感がある。
え?大丈夫なの?と不安になる。そんな感じの初回でした。
説明が入り、問診の確認をされ、施術が始まる。ここからの120分間はもう怒涛の展開。怒涛怒涛の流れ。確かに雪崩というのがふさわしい。
施術?検査の流れも雪崩、先生からの説明も雪崩。情報量が余りに異次元過ぎてついていけない。とにかく自分のカラダには沢山の問題点・課題点が溢れている事は良く伝わった。
これを一気に治してくれるのか?期待が高まる。が、先生から最後に「だから一朝一夕には治りませんよ」と言われてショック。
この困難を高い技術でサッと変えていくのがプロではないのか?その為のコストでは無いのか?思わず先生に問う。
すると先生はキチンと応えてくれる。
「カラダはサッと変えられない事を伝えるのが仕事なんです」
「富士山登山と同じです。簡単に考えているが実際はとても困難が待っている。」
「正しく認識を持ってもらう事、正しく安全に、目的地にたどり着くお手伝いをする事が仕事です」
先生はこう答えてくれた。
先生はさらに続ける
「その願いに応えてくれる先生に今まではお世話になっていたのでは無いですか?」
図星に困る。その通りだ。その結果はどうだ。他でもない自分が良くわかっている。
「今なら引き返せますから、ゆっくり考えて下さい」
初回が終わって先生は判断をこちらに委ねた。次回の予約を聞かれないのは初めての経験で戸惑う。(やんわり拒否された?)
初回終了の数日後、カルテと健康状態のピラミッドが届く。我ながら酷い。
これだけの検査を、これだけの報告書?を今まで用意してくれた先生はいただろうか?先生はこれだけの根拠を持って説明をしてくれた。私は単なる自分の願望を訴えただけだ。
健康は先生に何とかしてもらうものだと思っていた。だから名医を探す事には時間も手間も惜しまない。整骨院の先生にもそうやって出会えた。
まだはっきりと言葉にはできないが、自分の考え方選択の仕方は「何かが違うのでは?」と疑問が浮かぶ。
赤く染まるカルテ、凸凹が酷いピラミッドを見て思うのは「カラダはここまで崩れていたのか」ということ。痛みはそこまでない。でもこうなっている。
わからない。何を信じていいのかわからない。
そんな気持ちになる。自分の価値が揺らぐ。
自分の知らない世界の住人である先生を信じるべきか。私は迷い迷い、最後は「信じてみよう」と切り替えた。
言われたとおりにやってみよう。素人の私が考えても詮無い事だ。
ここまでくるのに時間が凄くかかった。
皆が知りたいことは敢えて最後にした。
もっと早く、さっさと行動すべきだったと今は思う。
思い返せば病院の先生は確かに言っていた。
「立場は民間療法ですけど、国家資格くらいの知識は余裕でお持ちの人ですよ」
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物事への概念が変わった
今まで沢山の院に通ってきました。カラダの状態を何とかしたいとずっと願って。気持ちと裏腹に状況が変化せず、時間と費用だけが積み上がっていく状態に焦っていました。
もうどうしようもないのかなと。オペという選択肢があったものの、それだけは何とか避けたいと思いつつ、避けて通れないものなのかなと。
でも、結果的に避ける事ができました。こちらにお世話になって。
今まで通った院は東京から名古屋、大阪、有名な先生を求めてばかりでした。良くなるなら安いもの。藁にも縋る思いで頼りました。
その「頼る」がそもそもの間違いだったんですね。それをここで教わりました。健康はお金じゃない。お金では代えられないものだと言葉にしながら、いつまでも先生に任せていた事。それが自分の流浪の旅路の根本原因だったと教わりました。
沢山の院を通り抜けてきました。
でも、この俊カイロさんだけは違いました。今まではただ通過するだけだったものが、初めてお世話になったあの日、そして卒業を迎えた先日。
入る前と出る時と、こんなに風景が、人生観が変わった経験は初めてです。
同じように苦しみ、悩んで、辿り着いた人達はきっと同じ風景を見てここを卒業していったのかなと思います。
答えはずっと自分の中にあった。気付かなかったのは私自身。
健康は他でもない自分自身のものなんですよね。
今、困っている人、悩んでいる人へ。
誰かに任せる、決めてもらうだけでは健康は遠のくと学びました。自分で学び、考え、自分を育てていく事で健康は育つものだと経験しました。
私達は「何も知らない」という現実を何より受け入れる事が健康の近道だと思います。
知らないなら知ればいい。ここはそういう場所だと思います。
先生も仰っていました。気持ち1つで変われるのが人間だと。
とても素晴らしい場所だと思います、
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勉強にしかならない
同業で開業しています。国家資格持ちです。
元々いた職場のセミナーでこちらの先生が単発講師として講義に来てくれたことがきっかけでした。その時は触診がテーマだったのですが、もう何か他の講師の人とは話す内容が違っていました。凄いとかじゃなくて、とてもフワフワというか抽象的というか。ふんわりと言う感じ。なので余り印象には残っていませんでした。
恥ずかしながら関節矯正の先生の方に夢中になっていたので。
そして実際に開業して全部が自分の責任となってから思い知りました。触診、検査がよっぽど大事だったんだなと。自分の矯正に責任が持てない、自信が持てない。本当に必要なのか判断ができない。だってカラダの状態が把握できていないから。固いから動かす?固いのに動かすの?無理やり?
考え出したら止まらなくなりました。怖くて矯正できなくなるし。古巣に相談に行ったら「場数だ」「根性だ」と凄いアドバイスを受けることにw
自分に足りないものが多過ぎた事、自分が会社と院の看板に守られていた事を痛感。もう一度きちんと勉強しようと色々な先生、特に講師として来られていた先生の元を巡ることに。楽しかったです。とても勉強になりました。
ヨガ、ピラティス、整体、整骨院、各講師陣のスタジオや院に伺い施術を受ける。レッスンを受ける。そして説明を聞く。なるほど勉強になる。よし参考にしようと燃えてくる。
そして一番最後にとっていた触診の先生にもとにいく。何で最後にしたのか。派手さが無かったから?それとも一番ふんわりしていたから何かを感じていたから?時間が長いから?単価が高いから?未だによくわかりません。
ただ、何となくで最後にしていました。ゆっくり受けたかったからかなぁとも思います。知らんけど。
で、受けました。
これ、同業の人で特に色んなセミナーを巡った人なら余計に感じると思います。僕は最後にここを受けたから余計に感じたのかな。
全く別モノ。別の場所というか別の次元の取り組み。
治療、施術、医療類似行為と呼ばれる行為の中で、全くどのイメージにも当てはまらない内容です。検査?施術?刺激を入れている?運動療法?これは何に該当するのか?
自分の頭の中のデータベースでは「no data」「unknown」と表示される。
自分は今、一体何をされているのか?これは何を目的としたものなのか?その整理が追いつかない。説明をされるが全く頭が追いつかない。だってストレッチボード。これはうちの院にもある、職場にもあった。でも、これって乗って伸ばすだけのモノだと思っていた。
でも、俊先生はストレッチボードだけでも検査、運動、運動連鎖の確認、不具合時の運動不良の感覚確認、関節の運動感覚の確認など、用途が複数展開されていた。取り扱い説明書通りに使わずに自分のアイデアに道具を引き込んで活用している感じ。
まず道具をこんな風に使っている先生を初めて見た。これだけでも目から鱗。道具に任せていない。道具に手助けしてもらっている感じ。
そして触診。これがまた凄い。ほんの少しの角度、方向性、そしてこちらの意識した力、脱力。1つの検査で一体幾つの検査が複合されているのか。たった1つに見える検査が複数の情報を瞬時に先生の手元に提供する。
先生はそれを「聞き出す」と言っていた。「探しては駄目」と。来たよこのふんわりな表現(汗 完全にこれ感覚知の世界だよね。
自分は検査は探すものだと思っていました。痛みの再現性や可動性の確認など。それが「探る検査」の限界だそうです。1検査に1結果という紐づけ。
探せば力を流し込む。流れてくる力を読み取る事。カラダからのオープンキネティックを感じ取る事、カラダをクローズドキネティックにしては駄目。
キチンと言葉にして伝えてくれるが次元が違い過ぎてさっぱりわからん。がしてもらってその違いはわかる。それが余計にもどかしい
自分の今では到底理解ができない感覚の世界。
それを嫌味なく思い知らされた1日でした。自分は自分なりに頑張って勉強してきました。職場でも役職を与えられ信頼され、教育係もこなしてきた。
それなりの自負はある。自信もある。はずだった。
繁盛する院、そして繁盛はしなくても安定する院、先生のところは安定派だと思う。
繁盛しているから良い院なのか。
何かもう物凄く考えさせられる120分でした。
自分の考えていた努力。多分先生の足元にも遠く及んでいない。向き合い方が余りに違いすぎました。
やるしかない。
just do it!
ありがとうございました。
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