こんな物語もある
奥さんから紹介された。そしてこちらに来た。
先生が色々と説明してくれるが難しいのでこう伝えた。
「難しい話はわからないが、言われた通りにすれば良くなるのか?」
先生の答えはこうだ。
「立場上、求められる結果保証はしかねるが、カラダが変わる事は約束できます」
カルテは7割が×だった。それを7割〇に変えるまでは従おうと決めた。私の課題は腰だったが、腰は足腰が安定すれば大丈夫でしょうとのことだったので。
これが首肩だったらもう少し先の話になっていたらしい。
そこらへんの理屈はよくわからない。何せ素人なのだ。
とにかく言われた通りにした。キチンと先生が教えてくれた通りにした。
した。
言われた通りにしてみた。
腰の問題、なくなった。
奥さんの言った通りだった。
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世界が何度も変わる。最後にドカンと花火が上がる
どう表現したらここの良さ、というか特殊性?が伝わるのかなと悩み始めてはや1年。卒業してからもう1年経ったけれど、まだこうだ!という表現がはっきりとしていない。迷う。
でも迷い続けていたところでいつまで経っても書けないので現時点で自分が思っている事を書こうと思う。
まず、私個人の感想です。健康食品の宣伝と同じだと思ってもらっていい。あくまで私個人の感想です。
世界が変わるよ、という話を聞いて受けてみた。それについて私が感じてること。それは
「世界が変わる瞬間は何度かある」
まずこれ。
私は何回あっただろう。割とあった。
ー「股関節」と「肩関節」を使えた手ごたえを感じた時
ー「呼吸」で色んな所が順番に膨らんで萎むのを感じた時
ー「重心」位置をキチンと知った時
ー「かかと」と「爪先」の違いを実感した時
ー「屈伸」をキチンと知った時
ー「歩く」で視野が広がった時
ー「背骨」がしなる感覚を掴んだ時
ー「手足」が背骨で繋がった感覚がわかった時
ー「踵重心」の力が頭まで伝わった時
あ、なんか割とあるな
こんな感じで1つ気付く度に世界が変わっていった。本当に変わっていく。今までの世界と今見ている世界が違う。いや、世界は同じ。自分が変わった。
そんな経験、ここでしかしたことない。
そしてとっておきの気付き。これは世界がぶっ飛んだw
ー宿題が全て「歩く」「立つ」に繋がっていたと気付いた時
「立つ」と「歩く」は分解して動きを繋げると、宿題の動きの集合体だってわかった。
先生本当に育ててくれてたんだ。自立できる様にって。って感動した
本当にここは「先生」がいる。「専門家」じゃなくて「先生」がおるんよ!
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やれば元気に、やらなければその場に。わかりやすい
自力で見つけました。あちこち色んな院を巡って、相手の責任にしては別の場所に行って。それでも良くならなくてまた移って。良くならないのは専門家のせいである、そんな認識でずっとやってきました。
自分が良くならないのは技術のせいなんだと。神の手と出会えたらきっとよくなる。だから神の手を探そうと頑張っていました。
で、有名な先生に紹介を貰えてやっと大丈夫だと一安心したのですが、、、、実際には状況は変わらず。むしろ割高の料金と頻回の通院で予算がドンドン削られていく一方に。そっちに不安が募りました。
感じる変化と予算の削れるペースが釣り合わず、質問をしても「個人差がある」と受け流され。そこでハッとしました。ああ、多分自分の様な人が沢山いると。そしてそういう人が院の売上に貢献しているんだと。
急にです。急に頭の路線が切り替わったというか。カチャッとなったというか。「あ、今のままじゃ駄目」とだけはっきりとわかった感じです。悟りを開いたみたいな感じ。
そこから改めて院を探す様に。自分が手にしたいゴールをはっきりとさせて、それをどのように実現してくれるか、そのプロセスをしっかりと伝えてくれる先生を。技術よりも通り道を知りたいと考える様に。
検索ページの10ページ先くらいまで探して探してやっと見つけたのがここ。ここより上に表示されている整骨院や整体院はほぼ行きました。
ここだ。ここなら信じていい気がする。単なる直感でしたが、書いている内容が他とは異なる色合いだったので先生が見えた。そんな気がしたのです。
で、実際に受けてみて確信。ここだ。
技術で良くするなんて言わないし、もう大丈夫とむやみに安心させる事も言わない。もう流石に学んだ。結果を初回で保証する先生は結果に責任を負わない人だ。「個人差がある」とはもう散々聞いてきた。
だから「やってみないとわからない」と答える先生に誠意を感じた。嘘が無い事が重要だから。
そんな曖昧な言葉で信じた訳じゃない。信じたのは「伸びしろは山ほどある」という言葉。そっちを信じました。
そしてカラダのカルテとご対面。赤ばっかり。だから今の状態になったのかとわかる。そしてそれを塗り替えていく作業は簡単ではない。最短距離を提示するが、それはあくまで「安全」基準であって「効果」基準ではない。それもキチンと伝えてくれる。
だから信じてやった。宿題を1つ1つ。
足首をした。膝をした。股関節をした。そして運動で繋げる練習もした。
何もできていなかった自分が段々とできる様になっていく。それに伴い動きが軽く、何かが違って感じ取れる様に。
キチンとすれば、ちゃんと変わるのだ。
じゃあ、今までの自分がしてきたことは何だったのか?いや、選んだのは自分、それは自分の責任に過ぎない。
自分ですれば良かったんだ。ああ、本当だ。答えはずっと足元にあった。
自分がそれを真っ先に遠ざけていただけ。
先生の言う通りで、健康は自分次第。行動も大事だが、それを「どう考えるか」「どう感じるか」という心の問題が大きい。
それを「価値観」「優先順位」と先生は言う。
健康を崩すのは健康の優先順位が低く、価値が低いから。だから蔑ろにする。
健康を取り戻すのは自分の中での価値の正常化、優先順位の適正化。その結果としての行動なのだと知る。
やっぱり答えはずっとそこにあったのだ。それに気付かせてくれたのは個々の先生。
カラダを使いこなすってとても楽しく健康的だと思う。
運動が楽しい、血圧が安定する、心拍も安定、血液検査も安定した。何より日常が軽い。頭の中が軽い
いい事ばかりだった。
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民間資格への偏見が吹き飛ぶ
病院の先生に紹介をされました。病院として紹介はできないからあくまで「個人的な紹介」という形になるけど、という形でした。
民間療法というものへは余り良いイメージは持っていませんでした。その時に通っていた整骨院の先生から「無資格者は危ない、素人だ」と言われていたからです。「自分達の業界を乱されている」とまで。そうか、そんなに身勝手な人達なのかと完全に思い込んでいました。
その先生は地域で有名でアスリートも何名も抱えている先生だから完全に信頼をしていました。なので、紹介をされたもののちょっと様子見をしていた感じです。
初めて検討したのは紹介されてから半年後くらい。カラダの状態が余り変化せず、流石にこのままだと困ったなと焦りだしたときです。病院の先生には「付き合いがあるから中々・・」と言葉を濁し、通っていた先生には「少し問題が根深いな」と言われ、いつまでこのままなのかと不安が膨らむ。
状況に変化を与えたいな、きっかけが欲しい。そう思って予約を入れました。朝にかけて夜には受けたいと思ったら、最短で翌週しかないと言われてしまい意気消沈。すぐに受けられるものじゃないの?と理解が追い付かず。
で、すぐじゃないならいいや。と暫くまた様子見をしていました。
でも整骨院ではやはり変化が見られない。益々マズいと思い、改めて予約をする。「前に空いていた時間で予約が取りたい」と伝えると「埋まってしまっているので、その翌週になります」とのお返事。
私はそこで気付いた。自分が勝手に「選べる立場」だと思っていた事に。この院の施術を受けようとしているのは私だけじゃないし、敢えて私に便宜を図る理由も無い。
何を勝手に自由に予約できるものという感覚になっていたのか。
改めて空き時間を確認予約を入れる。問診はオンライン。今時な感じ
初回を迎える。
普通の家。にまず驚く。正に院!という感じの外装ではなく内装も普通に家。手作り感がある。
え?大丈夫なの?と不安になる。そんな感じの初回でした。
説明が入り、問診の確認をされ、施術が始まる。ここからの120分間はもう怒涛の展開。怒涛怒涛の流れ。確かに雪崩というのがふさわしい。
施術?検査の流れも雪崩、先生からの説明も雪崩。情報量が余りに異次元過ぎてついていけない。とにかく自分のカラダには沢山の問題点・課題点が溢れている事は良く伝わった。
これを一気に治してくれるのか?期待が高まる。が、先生から最後に「だから一朝一夕には治りませんよ」と言われてショック。
この困難を高い技術でサッと変えていくのがプロではないのか?その為のコストでは無いのか?思わず先生に問う。
すると先生はキチンと応えてくれる。
「カラダはサッと変えられない事を伝えるのが仕事なんです」
「富士山登山と同じです。簡単に考えているが実際はとても困難が待っている。」
「正しく認識を持ってもらう事、正しく安全に、目的地にたどり着くお手伝いをする事が仕事です」
先生はこう答えてくれた。
先生はさらに続ける
「その願いに応えてくれる先生に今まではお世話になっていたのでは無いですか?」
図星に困る。その通りだ。その結果はどうだ。他でもない自分が良くわかっている。
「今なら引き返せますから、ゆっくり考えて下さい」
初回が終わって先生は判断をこちらに委ねた。次回の予約を聞かれないのは初めての経験で戸惑う。(やんわり拒否された?)
初回終了の数日後、カルテと健康状態のピラミッドが届く。我ながら酷い。
これだけの検査を、これだけの報告書?を今まで用意してくれた先生はいただろうか?先生はこれだけの根拠を持って説明をしてくれた。私は単なる自分の願望を訴えただけだ。
健康は先生に何とかしてもらうものだと思っていた。だから名医を探す事には時間も手間も惜しまない。整骨院の先生にもそうやって出会えた。
まだはっきりと言葉にはできないが、自分の考え方選択の仕方は「何かが違うのでは?」と疑問が浮かぶ。
赤く染まるカルテ、凸凹が酷いピラミッドを見て思うのは「カラダはここまで崩れていたのか」ということ。痛みはそこまでない。でもこうなっている。
わからない。何を信じていいのかわからない。
そんな気持ちになる。自分の価値が揺らぐ。
自分の知らない世界の住人である先生を信じるべきか。私は迷い迷い、最後は「信じてみよう」と切り替えた。
言われたとおりにやってみよう。素人の私が考えても詮無い事だ。
ここまでくるのに時間が凄くかかった。
皆が知りたいことは敢えて最後にした。
もっと早く、さっさと行動すべきだったと今は思う。
思い返せば病院の先生は確かに言っていた。
「立場は民間療法ですけど、国家資格くらいの知識は余裕でお持ちの人ですよ」
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勉強にしかならない
同業で開業しています。国家資格持ちです。
元々いた職場のセミナーでこちらの先生が単発講師として講義に来てくれたことがきっかけでした。その時は触診がテーマだったのですが、もう何か他の講師の人とは話す内容が違っていました。凄いとかじゃなくて、とてもフワフワというか抽象的というか。ふんわりと言う感じ。なので余り印象には残っていませんでした。
恥ずかしながら関節矯正の先生の方に夢中になっていたので。
そして実際に開業して全部が自分の責任となってから思い知りました。触診、検査がよっぽど大事だったんだなと。自分の矯正に責任が持てない、自信が持てない。本当に必要なのか判断ができない。だってカラダの状態が把握できていないから。固いから動かす?固いのに動かすの?無理やり?
考え出したら止まらなくなりました。怖くて矯正できなくなるし。古巣に相談に行ったら「場数だ」「根性だ」と凄いアドバイスを受けることにw
自分に足りないものが多過ぎた事、自分が会社と院の看板に守られていた事を痛感。もう一度きちんと勉強しようと色々な先生、特に講師として来られていた先生の元を巡ることに。楽しかったです。とても勉強になりました。
ヨガ、ピラティス、整体、整骨院、各講師陣のスタジオや院に伺い施術を受ける。レッスンを受ける。そして説明を聞く。なるほど勉強になる。よし参考にしようと燃えてくる。
そして一番最後にとっていた触診の先生にもとにいく。何で最後にしたのか。派手さが無かったから?それとも一番ふんわりしていたから何かを感じていたから?時間が長いから?単価が高いから?未だによくわかりません。
ただ、何となくで最後にしていました。ゆっくり受けたかったからかなぁとも思います。知らんけど。
で、受けました。
これ、同業の人で特に色んなセミナーを巡った人なら余計に感じると思います。僕は最後にここを受けたから余計に感じたのかな。
全く別モノ。別の場所というか別の次元の取り組み。
治療、施術、医療類似行為と呼ばれる行為の中で、全くどのイメージにも当てはまらない内容です。検査?施術?刺激を入れている?運動療法?これは何に該当するのか?
自分の頭の中のデータベースでは「no data」「unknown」と表示される。
自分は今、一体何をされているのか?これは何を目的としたものなのか?その整理が追いつかない。説明をされるが全く頭が追いつかない。だってストレッチボード。これはうちの院にもある、職場にもあった。でも、これって乗って伸ばすだけのモノだと思っていた。
でも、俊先生はストレッチボードだけでも検査、運動、運動連鎖の確認、不具合時の運動不良の感覚確認、関節の運動感覚の確認など、用途が複数展開されていた。取り扱い説明書通りに使わずに自分のアイデアに道具を引き込んで活用している感じ。
まず道具をこんな風に使っている先生を初めて見た。これだけでも目から鱗。道具に任せていない。道具に手助けしてもらっている感じ。
そして触診。これがまた凄い。ほんの少しの角度、方向性、そしてこちらの意識した力、脱力。1つの検査で一体幾つの検査が複合されているのか。たった1つに見える検査が複数の情報を瞬時に先生の手元に提供する。
先生はそれを「聞き出す」と言っていた。「探しては駄目」と。来たよこのふんわりな表現(汗 完全にこれ感覚知の世界だよね。
自分は検査は探すものだと思っていました。痛みの再現性や可動性の確認など。それが「探る検査」の限界だそうです。1検査に1結果という紐づけ。
探せば力を流し込む。流れてくる力を読み取る事。カラダからのオープンキネティックを感じ取る事、カラダをクローズドキネティックにしては駄目。
キチンと言葉にして伝えてくれるが次元が違い過ぎてさっぱりわからん。がしてもらってその違いはわかる。それが余計にもどかしい
自分の今では到底理解ができない感覚の世界。
それを嫌味なく思い知らされた1日でした。自分は自分なりに頑張って勉強してきました。職場でも役職を与えられ信頼され、教育係もこなしてきた。
それなりの自負はある。自信もある。はずだった。
繁盛する院、そして繁盛はしなくても安定する院、先生のところは安定派だと思う。
繁盛しているから良い院なのか。
何かもう物凄く考えさせられる120分でした。
自分の考えていた努力。多分先生の足元にも遠く及んでいない。向き合い方が余りに違いすぎました。
やるしかない。
just do it!
ありがとうございました。
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普通の民家の中に、とんでもなく良い先生がいた。
紹介者なしです。探して探して、さまよい続けてやっとここにたどり着きました。
ここに登場する皆さんと同じく、とにかく有名どころを頼りました。TVに出ている先生の系列院や芸能人をみている先生の院も行きました。SNSでバズッた先生のお弟子さんの院にも行きました。
行けば何とかしてくれると信じていたからです。高いけど、払うもの払ったら後はもう大丈夫なんだろうと。
ご推察の通り、見事にどん詰まり、沼にドはまりしてしました。受けた後は「ああスッキリ」とスキップして帰り、数日後には「ああ、戻ってきた」とどん底に。どんどん減っていく諭吉さま。出ては戻ってくる放蕩息子のような症状。担当の先生は弾ける笑顔で「頑張りましょう!」と支えてくれる。きっと担当の先生には見えているんだと信じて続ける日々
ある日、友達に言われてハッとする
「それ、大丈夫なの?」
一瞬で我に返る私。そうだよね、だよね。何かこれダメな流れだよね。でもどうしよう。今更また1から探すの?やっと見つけて、やっと通えた場所なのに。
かなり悩んで悩んで、それから必死に探すように。そこでも気づく。ああ、私って「探していなかった」んだと気づく。こんなに必死だったのに、何とかしたいと思っていたのに大して調べることもしていなかった。わかりやすい情報に惹かれ、都合の良い返事をしてくれる場所を求めてたどり着いた場所。
それが有名所ばかりだった。ああ、自分が悪いのかも。そう思った時はむなしくなった。勉強代にしてはあまりに高くついた。お金はなくなり、体は何も変わらず。自分の情けなさだけが残った感じ。ばかみたい。
ここと出会ったのはそんな「やさぐれ」時期です。いや正確にはもっと前に出会っていました。印象に残っているのはどこかで聞いたフレーズのチラシ
「20代と30代の間は覚えておいてください。40代になったら思い出してください」
あ、行こう
なにかも直感的に感じて、ネットで調べてみる。出てこない。院の名前を直接打ち込んでやって出てきた。ああ、出会えないわけだ。
youtubeの動画を全部見る。凄い深い、重い。何か凄い内容。音楽も何か重厚感ある。でも内容は納得する。
きちんと身体と向き合うときかも。そもそも体と向き合うことってどういうことなんだろう?
この際、キチンと学びたいと思ったので予約する。最短でも翌週だった。うそ!明日行こうとか思っていた自分が情けない。まだ自分の都合でものを考えていた。
で、開始
普通の家、先生も普通の先生。特別なオーラがあるわけじゃない。穏やかな先生。で始まる
何か凄い、何か凄い
細かい、丁寧、説明がちんぷんかんぷん。
カルテは×ばっかり。▲もたくさん。〇が少ない。
何故?じゃなくて当然の状態。それを丁寧に説明される。悩む前の段階らしい。カルテ見て納得
こんなこと、誰も教えてくれなかった。調べてもくれなかった。だからなんだ。じゃあどうすればいいの?
今はここを優先します
だからこれやってきてね。
このやり取りの繰り返し。キチンとすれば前に進み、いい加減にしたら足踏みが起こる。場合によっては改悪が起こる。
本当だ、自分次第だ
まだまだ旅の途中だけど、私が感じ取った変化はいろいろ
階段が軽い
歩くのが楽
立つのが楽
姿勢がきれいになっている
視界が広くなった
周りがよく見える
よく眠れる
寝起きがいい
気持ちがなんか穏やか
まだまだあるけど、今はここまで
身体の声を聴くって言葉の意味がやっとわかってきた感じ。
答えは最初からそこにあったんだ。私がただ聞いていなかっただけ
それを教えてくれる、聞き方を教わる場所だとおもう。
出会えてよかった。
きっとここが私の終着点だと思う。
安心感がまるで違う
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