勉強にしかならない
同業で開業しています。国家資格持ちです。
元々いた職場のセミナーでこちらの先生が単発講師として講義に来てくれたことがきっかけでした。その時は触診がテーマだったのですが、もう何か他の講師の人とは話す内容が違っていました。凄いとかじゃなくて、とてもフワフワというか抽象的というか。ふんわりと言う感じ。なので余り印象には残っていませんでした。
恥ずかしながら関節矯正の先生の方に夢中になっていたので。
そして実際に開業して全部が自分の責任となってから思い知りました。触診、検査がよっぽど大事だったんだなと。自分の矯正に責任が持てない、自信が持てない。本当に必要なのか判断ができない。だってカラダの状態が把握できていないから。固いから動かす?固いのに動かすの?無理やり?
考え出したら止まらなくなりました。怖くて矯正できなくなるし。古巣に相談に行ったら「場数だ」「根性だ」と凄いアドバイスを受けることにw
自分に足りないものが多過ぎた事、自分が会社と院の看板に守られていた事を痛感。もう一度きちんと勉強しようと色々な先生、特に講師として来られていた先生の元を巡ることに。楽しかったです。とても勉強になりました。
ヨガ、ピラティス、整体、整骨院、各講師陣のスタジオや院に伺い施術を受ける。レッスンを受ける。そして説明を聞く。なるほど勉強になる。よし参考にしようと燃えてくる。
そして一番最後にとっていた触診の先生にもとにいく。何で最後にしたのか。派手さが無かったから?それとも一番ふんわりしていたから何かを感じていたから?時間が長いから?単価が高いから?未だによくわかりません。
ただ、何となくで最後にしていました。ゆっくり受けたかったからかなぁとも思います。知らんけど。
で、受けました。
これ、同業の人で特に色んなセミナーを巡った人なら余計に感じると思います。僕は最後にここを受けたから余計に感じたのかな。
全く別モノ。別の場所というか別の次元の取り組み。
治療、施術、医療類似行為と呼ばれる行為の中で、全くどのイメージにも当てはまらない内容です。検査?施術?刺激を入れている?運動療法?これは何に該当するのか?
自分の頭の中のデータベースでは「no data」「unknown」と表示される。
自分は今、一体何をされているのか?これは何を目的としたものなのか?その整理が追いつかない。説明をされるが全く頭が追いつかない。だってストレッチボード。これはうちの院にもある、職場にもあった。でも、これって乗って伸ばすだけのモノだと思っていた。
でも、俊先生はストレッチボードだけでも検査、運動、運動連鎖の確認、不具合時の運動不良の感覚確認、関節の運動感覚の確認など、用途が複数展開されていた。取り扱い説明書通りに使わずに自分のアイデアに道具を引き込んで活用している感じ。
まず道具をこんな風に使っている先生を初めて見た。これだけでも目から鱗。道具に任せていない。道具に手助けしてもらっている感じ。
そして触診。これがまた凄い。ほんの少しの角度、方向性、そしてこちらの意識した力、脱力。1つの検査で一体幾つの検査が複合されているのか。たった1つに見える検査が複数の情報を瞬時に先生の手元に提供する。
先生はそれを「聞き出す」と言っていた。「探しては駄目」と。来たよこのふんわりな表現(汗 完全にこれ感覚知の世界だよね。
自分は検査は探すものだと思っていました。痛みの再現性や可動性の確認など。それが「探る検査」の限界だそうです。1検査に1結果という紐づけ。
探せば力を流し込む。流れてくる力を読み取る事。カラダからのオープンキネティックを感じ取る事、カラダをクローズドキネティックにしては駄目。
キチンと言葉にして伝えてくれるが次元が違い過ぎてさっぱりわからん。がしてもらってその違いはわかる。それが余計にもどかしい
自分の今では到底理解ができない感覚の世界。
それを嫌味なく思い知らされた1日でした。自分は自分なりに頑張って勉強してきました。職場でも役職を与えられ信頼され、教育係もこなしてきた。
それなりの自負はある。自信もある。はずだった。
繁盛する院、そして繁盛はしなくても安定する院、先生のところは安定派だと思う。
繁盛しているから良い院なのか。
何かもう物凄く考えさせられる120分でした。
自分の考えていた努力。多分先生の足元にも遠く及んでいない。向き合い方が余りに違いすぎました。
やるしかない。
just do it!
ありがとうございました。
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