自分という常識を破壊する!
あれだけ「無理無理無理!!!!こんなん人が履くモンとちゃう!!」と言っていた歯が後ろについている一本下駄。
そして「これこれ!これはホンマに履きやすい!」と言ってた歯が下にある一本下駄。
それが
それが。。。
そ・れ・が!!!
まさか逆転するなんて誰が想像していたであろうか、いやない(反語)
こんなに後ろに歯が付いた一本下駄が「履きやすい」「力を抜いても立てる!」と感じる様になり、
普通の下に歯がついている一本下駄は「うわ!無理!こけるって!」「足首やられるって!」と意識しないと立てなくなった。
信じられないけれど、それが私の足に起こった真実である。本当に感覚が180度引っ繰り返った。引っ繰り返っていた。
じゃあ、やっぱり自分が今まで感じていた「普通」「楽」「自然な感じ」が全くそうでは無かったという事か?自分にとっては普通であっても、本来のカラダにとっては「普通では無かった」という事か。
感覚的にわかってきたけれど、どうしても理解が追いつかない。カラダって自然とベストな状態に戻る働きがあるんじゃなかったっけ?どうして自然じゃない状態でカラダを固めてしまうのか。
感覚ってこういうふうに変わっていくもんなの?もっと何かこうわかりやすい感じで変わっていくのだと思っていました。でも実際は突然でもあり緩やかでもあり、何せ理解が追いついていないので表現するのも一苦労。
ナニコレ?
という感じで起こる。
いや、この1本下駄は本当に衝撃的だった。当たり前の様に立っている自分を見て未だに「え?何で?」となっている。
ここは「当たり前」が崩れていく場所なのかも。だってその「当たり前」って普遍的なものではなくて「自分にとっての当たり前」に過ぎない訳で。
ここでは「人間にとっての当たり前」という正に普遍的なモノを教えてくれる場所であって。「自分とニュートラルな人間」の間に広がったギャップを埋めてくれる場所じゃないかな。
自分の感覚が正しい、間違いないと思いたいけど、これを経験しちゃうとダメだな、認めざるを得ない。
自分が培った感覚、普通はやっぱり「独りよがりのもの」だったんだな。大きなけがをする前に修正できるものはした方がいい。間違いない。
何処で?
ここでしょ!
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