ずっと探していたよ!こういうところ!
長かった!いや本当に長かった!!やっと出会えたよ!こういう場所に!え?どういう場所かって?そりゃもうあれです。あれですよ。
!!基礎を大切にする先生!!
もうこれ!ここ!。結局はこれだと思います。何事においても。20院位巡って巡って辿り着いたのがこういう結論。「当たり前の普通の結論」だった訳で。でも辿り着いたからといってすぐに出会える訳でもなくて。
10院位はテレビで有名な先生を巡って、10院くらいはインスタとかyoutubeで有名?な先生を巡って。そこから10院くらいはまた自分で探して考えて選んだ先生の所を巡って。
1回では辞めてないよ!全部5回くらいは通ったよ!だから財布はスッカラカンだったよ!だって今時1回10,000円とかザラだもんね!でも健康だけはどうしても妥協したくなかったから経費だと割り切って探したよ!
で、やっと出会えたのよ。出会えちゃったのよここに。そんな感じ。
〇〇療法は沢山試したし聞いてきたよ。どの先生も独自の施術理論を持っていてそれを説明されて。他にもサポートグッズというのも沢山見せてもらったし、聞いたし、買ったし。自分のカラダの事も沢山聞いてきました。筋膜とか神経とか、脳波とか、姿勢とか。本当にたくさんの先生から色んなお話を聞いていた。
そういうのはもういいんです。もうお腹一杯。結果が全てなんて言うつもりもない。だって今日昨日で出来上がったモノでも無いと自覚している。だからその場で姿勢チェックされても、痛みチェックされても余り響かない。
知りたかったのはもっとシンプルで奥深い事。
自分のカラダは今どんな事になっているのか。自分に必要な事は何なのか。自分が何をすればよいのか。
それが知りたい、知りたかった。別に施術技術の話でも無く、姿勢の歪みの話でも無く、筋膜がどうこうという話じゃない。だってそれは「実際、本当かどうかわからない」事ばかりだから。確認しようが無い事を言われても言われた側はどうしようもない。
カラダが固い、それもわかる。自分のカラダだから。だから緩めていきましょうではなくて、知りたいのは「どうしてこんなに固くなったのか」という事。ストレッチの仕方がまずいのか、ストレッチの内容がまずいのか。要はもっと具体的に掘り下げて知りたかった。
でも、こちらの要求に応えてくれる先生がいなかった。ずっと聞いたことのある話が何処でも出てくるだけ。何度も聞き過ぎて、説明の前に何を説明されるかまでわかる様になる始末。
専門家って何なんだろう。そんな疑問すら沸くくらいにわからなくなってしまいました。ホント。だって下手したらこちらの方が知っているまである。伊達に患者歴長い訳じゃない。死に物狂いで調べたし勉強だってしたのだ。
こちらの質問に困る先生、怒る先生、不機嫌になる先生。どうして真正面から向き合ってくれないのか。その為の専門家であり対価の発生ではないのか?
目の前の先生は何でもって対価をなしてくれるのか。支払う金額と時間、そしてその対価。何かバランスが変だなとも多々感じた。
でもとてもにぎわっている院ばかりだったので「自分がよそ者なんだな」とも流石にわかる。ならばどこにあるのか自分の居場所。
そんな感じで流れ流れる浪人生活。そして最後に辿り着いた俊カイロ。
今までの院で、最も外観が「普通」であり院長の勢いも「普通」であり、国家資格は持っていない民間資格。
でも、こちらの口コミを見てもわかる様に「凄い」というより「異質」な何かを感じる。HPを見ても「いい事書いてるなぁ~」とは思うものの、そこまで特別な何かを感じる訳では無い。
興味本位、そして期待。
そして受けた私。
私が感じた率直な意見。それはずばりのズバリ
「極まった普通」
これだ!!
「普通」が「極まる」事で「応用」が生まれている。ここから感じたのは「応用」が先生の内側から「生まれている」と感じたことだ。
学んだじゃない、ここで「生まれている」感じ。これが先生のいう「向こう側」という事なのか?
徹底的に磨きあげられた基礎、そこに派手さは無い。見事にない。だが圧倒的な安心感と安定感がある。
実際に宿題を1つ1つこなす、覚えが悪いから人より遅い。でも先生は「失敗はなるべくし尽くした方がいい」と見守ってくれる。
1つ階段を登るとカラダが変わる。というか変化はその手前で感じる。軽い、伸びる、楽、これが私のカラダか?これが基礎を固めたご褒美か?
カラダの仕組みに従った「当たり前」を「順番」に「キチンと」こなしてくという作業。
こんなに地味な作業のご褒美がこれか!やればよかっただけ。
でも「何を」を丁寧にキチンと教えてくれたのはこの先生だけだった。
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