世界が変わる、は存外偽りではない。
世界が変わる。その言葉は人それぞれで形も変わる。なんて堅苦しい事を言ってみたが、個人的な感想としては「変わる」とだけ言っておきたい。
ただし、これも言っておきたい。人によって大きく左右されると思うが「個人差が激しい」と思う。気付く人は恐らく早い。これは先生も口にしていた。早い人はとにかく一瞬で変わると。
その一方で「行き詰まる」人は割と沼にハマる。その理由は「癖」と「認識」にあると。自身の人生で育ててきた「独自の運動ーオリジナルの代償動作」は既に身体に溶け込み、その人自身の一部となる。一緒に人生を過ごしてきたいわば「戦友」と言えるもの。使い込まれ、使いこなした「専用の道具」と言える。
それを今更否定できるのか。「理想的」だと思っていたものが「非効率的」だと認識を改める事ができるのか。否。それはとても難しい。わかっていても難しい。年齢を重ねる程に難しくなるはずだ。でも、先生は言う。「それは最低限必要な事」であると。
自分が至らないと知る事、気付く事、そして認める事。それができて初めてスタートラインに立てるという。感覚を上書きしていく為にはなぞる、真似るだけでは不足で、自分の中での納得と理解が最初に必要であるとのこと。それは最早「価値観の転換」に近い。価値観を脱皮させる必要がある。
それができるのか否か。それは先生の手にあるものではなく我々の内側にあるもの次第と言える。そう「覚悟」である。もっと気軽に、もっと簡単に考えてる場合は恐らく辿り着けない。
先生はその点、一貫している。「健康は決して軽いものでは無い」と。一方で「痛みを改善させるのはとても簡単」とも。この両者を同一視している時点で先生と視点がズレる。それは結局先生のおっしゃる「ミスマッチ」に繋がるのではないかと推測する。
先生は常に本気で真摯に伝えてくれる。受け取る側がそれを「濃い」と捉えるか「重い」と捉えるか。そこもまた分かれ道になるのではないか。先生のスタンスは常に一貫していると感じる。
私はまだCCレベルのヒヨッコだが、実は来た時点ではFEという誉な状態からのスタート。それが宿題を2つこなした時点で確実な変化が感じ取れた。先生の「拾い上げる」という言葉の意味がやっとわかったのだ。
私の世界に小さな変化が生まれた。これはきっと大きな変化の扉となる。拾い上げるという感覚は今までの人生に無かったからだ。
世界は変わる。それはCCレベルの私でも断言できる。ただし、それは「待っていたら変わる」訳でなく「受けていたら変わる」訳でもない。
自分で気付く、拾い上げるという努力、取り組みが求められるのだ。
先生は最初にこう伝えてくれた。「私達は何処までいっても道案内が限界です。リスク要因から可能な限り皆さんを遠ざける事。それが私達の仕事の限界なんです」と。
私はまだここに通って半年程度。素人だが感じ取れる事はある。
技術は申し分ない、触れられる感覚でわかる。
知識は申し分ない、渡される情報量とその流れでよくわかる。
人柄は特に申し分ない。話をすればわかる。とても誠実な先生だ。
提供サービスについては文句のつけようがない。過去に様々な先生にかかったが、この様な密度、丁寧さを持った先生は経験が無い。
後は「私たち自身の問題」である。
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