先生は哲学者×学者×研究者+臨床家
今やっとA+A+まで到達しました。カラダの不調は殆どありません。出てきてもお風呂入ってグッスリ寝たら翌朝にはスッキリする感じです。今は「歩行」の練習と「癖抜き」に入っています。これが本当に難しいです。自分の感覚を否定しないと前に進まない悲しさ。
自分自身が「これが正解」と信じてきた感覚。それが「惜しい」と1つ1つ修正されていくのは「気付けた喜び」と「自分の積み重ねを否定するという悲しさ」とが共存した何とも言えない複雑な気持ちになります。最初は。一度ふっきれると「そっち側に行きたい」と気持ちが切り替わるので学ぶことがとても楽しくなります。修正をするのが楽しいというか。最初は中々感覚を掴み切れずに「え?え?え?」と頭の中は「?」で一杯になりますが、コツを掴むと「!」と閃きの様な発見の様な高揚感に満たされます。カラダの感覚が全然違う。うわ!と気付く感覚です。
先生が言葉にする内容は達人というか仙人というか、鬼滅風にいえば至高の領域な気がするのですが、階段はキチンと1段1段と用意されていて。それをしっかり踏んでいけば私でもそこに近付けている様です。そう信じています。
カラダをキチンと整えること。
カラダをキチンと使う事。
カラダを繋げていく事。
「立つ」こと
「歩く」こと
先生は「走る」までは指導していない様ですが、聞いたら「2足は歩行以上は負担が大きい」とのこと。走るという行為は基本4足に任せておけばいいというスタンスの様です。
2足歩行の生き物としての在り方をトコトン追求する先生。
色々な院を巡ってここに落ち着いた理由は「自分が成長できる」という環境である事。先生はこちらのペースに合わせて指導をしてくれること。キチンと論理的に答えてくれること。自分にとってとても心地よいです。
先生の言う「自分のカラダを教科書にして、カラダを学んでいく」というスタンス。自分にはピッタリハマりました。
辛くなったら受けに行って、楽になって「ああ、一安心」という通い方を10年近くしていた自分にとってここは「ゴール」だと思っています。
健康は他人任せにしてはいけない。している限り健康は手元から離れていく。
先生の言葉がズドンと響きました。結局は自分が一番の原因だったというオチでした。
ここまで来て自分も改めてそう思います。健康は決して委託して良いものではないと。自分で育て、守るもの。
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