atok さん
2025-09-26

カラダ基準で判断をする先生

5.00

ひたすら可能性の消し込み作業が続けられる。そんな感じの場所だと思います。腰痛、肩こりといった症状名で判断をする事は無く、あくまで判断の基準となるのは「医学的な身体」が基準となります。

腰が痛いからこう、肩が上がらないからこう、そういった働きかけをする先生ではありません。

「本来の状態からここ、ここ、ここ、そこが崩れている」

「順番的にはここから、次にここ、その次にここ」

と整えていく場所が指導されていきます。その整えるが施術ではなくて宿題になる感じ。施術で身体に仕込みを入れて、宿題で仕上げに掛かるという感じ。だと私は思う。思った。きっとそうだ。

宿題をサボる、カラダに変化がでない。症状に変化出ない。

宿題をする。身体に変化が出る。症状に変化が「うっすら」出る。

この差に気付けたら変わった。感覚が変わった。症状が「うっすら」の部分にはじめは意識が向いてしまう。先生の「拾い上げよう」がそこの事だと思ってしまう。でも違った、もっと手前の「カラダの変化」の方だった。症状の「うっすら」は後からついてくるオマケみたいなもの。拾い上げるべきはカラダの「小さな」変化の方。この小さな変化に気付けたら本当に変わる、

階段の1歩
寝起きの爽快感
頭のスッキリ感
身体の軽さ
足の軽さ
どっこいしょが出ない日常
立っている方が楽と感じる時

どれも探して見つけたものではなく「あれ?」と後から気付いた小さな変化ばかり。そう、先行してた「変化」に対して「認識」が追いついた時。※先生の受け売り

「ああ、自分は寝れてなかったんだ」「自分はキチンと立ててなかったんだ」「自分はキチンと歩けてなかったんだ」「自分はキチンと屈伸ができていなかったんだ」と沢山の「現実」に気付く。ああそうだったんだと。

自分が知らないだけでそうだった、という事は負担が知らない間に蓄積していた。だから症状となってやってきていた。

その負担の段階で気付く為の訓練でもあったのか、宿題は。

そう思った時に私は思う

え、何ちゅう深いところまで考えて取り組んでるのここ?

ここまで私達に学び、きっかけ、気付きを提供してくれる先生って学校の先生くらいしか思いつかないw 大学時代の恩師がパッと思い付いた、

そうかそうか、ここはきっとそういう場所だ、

施術を受けて楽になった~じゃない、もう一度健康を学び直して自分の世界を広げる場所。カラダの寺子屋だ。

ここで「歩く」「立つ」「座る」「屈伸」をはじめとして基本的な動きを学んだあとに、通勤時に色んな人を眺めているとよくわかる、

自然な形で歩けている人って殆どいないんじゃないのか?

自然な形で立っている人って殆どいないじゃん。

ああ、国民病って原因が明らかというのはこういう事だったのかな。とか

確かに自分が見える世界が変わる。自分のステージが変わった感じがする。間違いなく、自分は以前あちら側にいた。その側をこうして対岸から眺めていると

「そりゃ、腰痛になる、肩こりもなる、片頭痛だって起こるよね」

と納得してしまった。

ここに来た当初は先生に「何でこんな症状が出てくるんですか?」「何が悪いんですか?」と良く聞いていました。

今の私は「そりゃ、なるよねぇ。。。」と言えるだけの経験値が溜まった様である。

それだけでも私は随分と変わった、ここに来て。

ここは間違いなくカラダの事、健康の事、姿勢の事を学ぶ寺子屋である。

当時の私に、今の私から伝える事があります。

「何も知らない状態で悩んでも仕方ないよ」

信頼できる専門家を見つけて、頼って学び直そう!それが一番手っ取り早い!

0
俊カイロ
  • 千里丘駅
  • 整体