途方もない先生です
同業プランでお世話になっています。2年目です。
通院ペースは初期は月2回、そこから月1回、それが隔月となり、季節ごとになり、最後はお任せになります。本当に強制がありません。自分で決める事を求められます。
その代わりに「請け負う」という事を放棄しています。そこが特徴かも。自分は聞きました。気になったので
「最初に月1、隔月でも良いのか?それでよくなるのか?」
これは皆が思う所かなと思います。なるべく安くしたいし、通うペースは遅くしたい。※詰めたい人もいるか。早く良くなりたい人とか。
先生はサクッと答えてくれましたよ。
「ズルズルと引き摺るパターンになるかな、と思います」
ああ、先生はわかっていてもなお「委ねる」事を選んだんだと思いました。それも聞いた「何故ですか?」と。提案をしないのですかと。それも答えてくれました※先生はこの問答を掲載する事も許可してくれています。無断掲載では無いです。
「提案はします。ただ強制はしません」
「患者さん自身が決めたペースの中で最善を尽くすのみです」
「正直、結末は見えますがそれを伝えても納得は生まれにくい。少なくとも今まで頑張りましたが無理でした」
「なので当院では説得工程は0です。でも、説明と提案はちゃんとしますw 選択と決断は患者さんに委ねます」
「良くなる人は覚悟が違う。良くならない人は覚悟が浅い。本当にそれだけ」
「覚悟が決まった人はとても素直で吸収力が違う。考える力が備わっている」
「そんな人達は迷わない」
「迷っている人は”望み通りの答え”を求めているだけでスタートラインに立っていないと感じる。」
「うちは身体が求めている本質的な要求を言語化して伝える事に注力したい」
「だから請け負わない」
「全力でサポートをする」
凄い振り切った場所です。与える安心感の質が違う。
安心できる言葉で安心させるのではなく、即効性で安心感を与えるのでもなく、正しい情報と道案内で安心感を与える。
なるほど、請け負うのをやめるのではなく「結果を請け負う」事をやめた訳か。その代わりに「正しい情報の提供」を請け負っている訳だ。
その為の情報量、検査量。なるほど、なるほど、確かに全く毛色が違う。そしておいそれとマネができる代物でもない。
同業プランの先生はきっと初回で気付く。「これはとても真似できるものじゃない」と。たぶん、下半身の検査の時点で気付く。「あ。これ無理」と。何せ先生が集める情報がさっぱりわからない。
どうやってその情報をその検査で集めるというの?真似しても何も伝わってこないんだけど?そんな感じが続く。
先生の検査は患者さんに見せる、納得させる為の「魅せ検」ではない。完全に「情報を引き出すための生検」といえる。検査の質からして違う。それがわかるのはたぶん同業者だけだと思う。一般の患者さんには理解不能だと思う。
それくらいに技術が洗練され過ぎて「何されているのかわからない」レベル。
通い続けて見えてきたのは「雑味」が無いから、最小限の動きと力で十分すぎる返事が聞こえている。そこまではやっとわかった。
そしてイレギュラーな力や動きはそれ自体が「検査結果」として更に検査に厚みを加えていく。検査という言葉でおさまらないと思う。刺激自体は検査より施術よりになっている。
検査の為の刺激がモビリ、モンパルとして役割を担っている。なんちゅうレベルよ。
そうでしょうね、と思ったのは
先生は既に「技術」レベルでの悩みは無い。既に到達している。ただ、洗練し過ぎてシンプルになり過ぎて「どう伝えれば伝わるか」の部分で困っている。「された感」が薄いから納得が生まれにくい。玄人過ぎて派手さが無いのは身体にとっては最適だが、感情にとっては物足りないとなる。
これは感情の生き物である人の厄介なところ。カラダが変わっても自覚できない場合は「ない」と判断される。
わかる人には感動が起こり、わからない人には「無風」となる。先生が悩んだのはそこか。そこに辿り着いた先生なんて殆どいない気がする。
だから説得をやめて、ひたすら磨く方に振り切ったのか。凄いなその選択。大抵はユーザー側に寄せるだろうに。職人や。マジ職人や。
先生と対等に語れる人っておるんかな。先生は絶対に孤独やと思う。会話が噛み合わないはず。
私は少しでも追い付きたい。というか自分にとって理想的なので頑張って学ぶ。まずは理解する。真似る。最後は自分の色が出せるように。
なので私は今、隔月です。通院ペース。月1でもいいんだけど、次の人にも席譲らないと。という感覚
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