情報の整理整頓
「健康」
ずばりこれ。これが私の人生後半戦のテーマ。これをどう守り通すか。それをテーマにしてあれこれ取り組んできました。市が主催する健康教室に通い、近くにできたパーソナルジムに通い、奥さんと一緒にピラティスやヨガにも通い。これは割と皆が通る道かなとも思います。
雑誌なんて本屋さんに行って目に入った健康系の書籍はまとめ買い。とにかく気になったら情報を集める。チャットGPTとどれだけ健康談義をしている事か。とにかく最適解を知りたい。正しいって何だ?そんな感じで突き進んでいました。
手持ちの武器は多い。
・五本指ソックス(理学療法士開発)
・加圧サポーター(理学療法士開発)
・枕(理学療法士開発)
・パジャマ(疲れが取れるシャツ)
・靴(当然、最上位モデル)
現時点で考えられる「最強布陣」で臨む日々。それが「健康オタク」の私でした。
そして前々から気になっていたココ。この院。チラシがサンドイッチマン過ぎて印象に残っていた。「40代になったら思い出してください」って私はもう50代に入ってしまう。急がねば。いや何も急ぐ必要は無いんだけど。
最強の布陣でカラダを創り上げ、MAXな状態で私はここに挑みたかった。そして初回でカルテが満点に近く「特に問題無いですよ、凄いです」と言ってもらいたかったのだ。
だからジムに通い、ヨガに通い、ピラティスに通いプールにも通い。カラダを作ってからここに挑戦した。
「DE」
予定では「AA」くらい。結果は「DE」という燦燦たる有様。何が起こったというのか。私は一体何をしていたというのか。先生に何回もやり直しを要求し、応えてもらい、どんどん検査結果が悪くなっていく。
「ね」
「持続性が無いんです、今の状態だと」
「力に頼っています」
「この子(先生は筋肉を子ども扱いする)に依存している」
「ほら、今捻りを加えたでしょ?無意識に」
「ご自身のスタイルが染み込んでいる状態です」
「『不自然×不自然=自然』これが今のあなたです」
「ほら、姿勢維持できますか? あ、ほらプルプルしてるでしょ」
「力が逃げているんですよ」
「ほら、ここから抜けていった、こっちの方向に」
「こっちだと得意ですよね、でもほら、こうしたら。ね」
「独自ではあっても自然では無いんです。」
私は今まで、褒められる事ばかりだったと記憶している。年齢から考えたら凄い、普通はこれできないですよ、しっかりした体幹です。奮発した体重計にも毎朝褒めてもらっていた。だから自分はてっきり年齢にしては健康な方なんだとばかり。
え?
ええ?
えええ?
ええええええええええええ
そんな感じで始まったこちらの院。独自の価値判断というか価値基準が実に論理的でユニーク。血液検査なんて「あれは壊れてから出てくる数値ですから」と一蹴。「血液検査の異常は想像の3段階は悪いと思って下さい」と。「異常無しで取り組む予防が一番大事です」とブレない。
そうか血液検査で異常が出てきてから対応するから状況が中々好転しなかったり、繰り返したりするのか。と何か納得。
「内臓疲労度を測る検査があればいいんですけど」
とこれまたユニークな見識を。私も話を聞いた後だと納得。それがあれば一番いいじゃないか。
私は今まで予防医学のつもりでジムに通い、ヨガに通い、ピラティスに通っていました。が、気付けば自然から遠のき、独りよがりな満足に染まっていた様だ。「できている自分は大丈夫だ」という過信のもと。
そんな私に鋭いハリセンが突き刺さる。
「それより、こっちができる様になっておきましょう」
「むしろそれ、いりませんよ」
「カラダが喜ぶ事を先に馴染ませましょう」
その1つ1つの何とシンプルな事か。というかシンプル過ぎて地味に感じる。派手さが無い。どうしても手応えに欠ける。「ホンマにこれでええのか」となる。
1年通して通った今の立ち位置から言おう
「素人がすいませんでしたぁぁぁ!!!」
派手さを求め、手応えを求め、達成感を求め、その場の変化を求め。鏡に映る自分にウットリしていた自分を恥じる。恥じる。恥じる。
理屈も教えてもらえる。何故大切なのか。何故重要なのか。何故今なのか。
全てが理詰め、科学的な理詰めです。だからか。と納得しかできない。納得できない人はやめたら良いのだ。先生は強要はしない。提案のみ。
この院は何も私達に要求はしない。
でも、実際には要求されている。「わかる」か「わからない」かの問題だ。
厄介な事に「後からわかる」事だらけ。凄い親切なスパルタとは言ったものだと思う。
私は「誠実なスパルタ」だと思う。
卒業する時には情報武装ではなく、情報の取捨選択が自在にできる。
その時の導き手は頭脳とカラダだ。
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