カラダより気持ちの在り方が変わりました
ピラティススタジオを経営しています。マシンピラティスを少し、でも基本はあくまで「マット」でやっています。個人的にはピラティスはマット推しで、マシンは少し流行りに乗って導入した感じです汗 やっぱり話題のモノを提供すると反応率が良いので。。。
こちらにお世話になりだしたのは、ヨガを含めると同業の方がどんどん参入してきて市場が過当競争になってきたから。それを肌で感じ始めたからです。このままの流れだといずれ自分のスタジオは廃れる。もっとここにしかないモノを提供できる様にならないと競争力が保てない。そういった危機感がメインです。焦っていました。
こちらの事は実は随分前から知っていました。私がまだ独立する前の話です。ヨガスタジオに勤めていた時に、時々やってきていた講師の1人がこちらの先生でした。担当はキネティックチェーンです。今は運動連鎖という言葉の方が馴染みがあるかも。
他にも解剖学や実技の先生、接客の先生などもいたのですが、こちらの先生の授業は「その場で役に立つ」という感じは無くてその時は私は割とスルーしていたクチです。右から左へ聞き流していた状態と言いますか。他の先生は「今すぐ使えるテクニック」を中心に教えてくれていたのでそっちにばかり目を向けていた状態です。
で、蓋を開けてみると自分のスタジオは今は良くても数年後はどうだ。そんな状況に。新しいテクニックや概念をどんどん取り入れても、それって結局は大体数の人がやっている事なんですよね。だから次から次へと乗り換えていく。
そうなると「私のスタジオ」を目指してきている人じゃない訳で。
一方でこの先生の授業が大好きだった人達は「自分の形」をそれぞれが持っていて、その人自身に生徒さんが付いている。というか張り付いている様な状態。たまに皆で集まった時に自分だけが取り残されている様な感じになることも。
だからです。遅ればせながら私ももう一度勉強しなおそうと思ってこちらにお世話になる様になった訳です。
先生の言葉を借りると「自分のカラダを教科書に、身体の事を学び直していく」という作業に入りました。
先生の指定する運動検査、私は殆どパスしました。と思っていました。違いました。全く自覚もしていませんでした。
これ、同じ指摘を受けた人いるそうですが、皆さんはどうですか?私は今でもズッシリ、ズドンと胸の奥にジャッジメントチェーンになっています。
「とても綺麗に不自然な動きをされています」
・・・・・・はい?
こうなりますよね、なりますよね、なりますって。自信あったもん、身体の扱い方については。
でも、はっきり言われました。「自分の意識だけでコントロールしています。全方位で意識主導でカラダを動かしているんですよ」と言われました。
ここから先のカラダの扱い方談義、力談義はもう深くて深くて頭がボカーン!でした。ピラティスに力学っているの?物理学がいるんですか?みたいな状態。
今は違いますよ。それが無くてどうするのと言いたい。でも当時の私はそれが全くわからなかったのです。テクニックを追いかけた人の末路ですよ、本当に。ああ恥ずかしい。
立つことは正にそう、歩く事なんて、もっとそう。手を伸ばすなんてもうそれそのもの!ああ、まさか私がこんな話題に食いつく側になるとは。。。想像もできなかったです。
私は今まで「ピラティス」をやっていました。学んだとおりに、教えられたとおりに生徒さんに伝えてきました。
でも、今は少し違います。私が何かを開発したわけでもありません。私が私の解釈でピラティスを分析して「私のピラティス」を作り上げただけです。私が考えるピラティスです。
今なおあり続けるピラティスを私の視点で再定義をしたような感じ。それはピラティスだけど「私のオリジナル」でもあります。だから自信をもって伝える事ができるし、何を聞かれても堂々と自分の言葉で答える事ができる。
それがきっかけとなってか、私のスタジオは安定し始めました。最初は入れ替わりが起こったので波もありましたけど、共感してくれる方が集まってくれるので積み重なります。だから安心化は全然違いました。
自分のカラダを教科書にして、身体を1から学び直す。
本当にここは凄い画期的な場所だと思います。私達が考えるカイロプラクティック院とは全く違います。
自分で学びに行くつもりなら絶対にここ!でも、受けてるだけで何とかしたいという場合は絶対にここはダメ!
先生は常に「考える事」「試す事」を受け手に求めてきますよ!
かっこいいのは「ここに来ている間に、できる限りの失敗を重ねてください」という言葉。これかっこよかった!
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