凄い本質的な事を学べる場所。あ、健康に関してね。
いつ投稿しよう、いつ投稿しようとずっと思っていました。
だって1回限りでしょ、これ。適当にサクッと書いてしまって後で後悔とかしたくない。だから狙い球を絞る様に慎重に慎重にとなっていく。
すると自分と感性が近い人が投稿をする。そう、そうなんよ。と共感すると勢いがつく。「よし、今だ!」と。
今、私はそうなった。
なのでやっとまとまった自分なりの「俊カイロ感想」を述べる。
ヘルニア民族の1人です。例によって沢山の神の手の元を訪れ、皆さんが軽く引くくらいの諭吉先生が旅立っていきました。中古車1台なんて余裕ですよ。
参考までに私が頼った先生のMAXは初診10万円です。凄腕の東京の先生でした。次点で8万だったかな。20万が8万に割り引いてくれた。
結果はここに辿り着いたという事です。察してくださいw 今となっては思い出ですから。T_T
ヘルニアの症状自体は3ヵ月くらいで殆どなくなりました。月2回ペースですが、宿題は猛烈にこなしました。仕事も休職しました。だって立てないレベルだったので。徹底的に回復にシフトして後から取り戻す。東京での苦い思い出から私が学んだ事です。
なのでヘルニア自体は苦しんだ期間が長い割に腹を括ってからは早かったという変わったケースかも。
でもそこじゃない、伝えたいのはそこじゃない。
そんな「良くなりました」エピソードなんてここには溢れている。
それよりシェアしたいのは「通る」という感覚。力が「スルン」と身体を通っていく感覚。
これが本当に凄い!本当にカラダが生まれ変わる。そんなレベルです。「え?何これ?それこれ?あれこれ?」みたいな。「は?」というか「ふぁ?」というか。
この「背骨が通る」という感覚。ずっとここに通っていて今一つわからなかった感覚。それがある瞬間に「開く」感じで降りてきます。本当に突然やってくる。正に「あ」の瞬間。
私はラジオ体操です。先生が仰る「関節面を意識して必ず下から上に繋げる事、上から迎えに行かない事、溜めてあげて」というアレンジレシピ。
背中が「ポコン」と鳴った瞬間に全てが変わった。
ここに至るまでの変化はとても緩やかな変化でした。確実に積み重なるけど、劇的な変化ではない。何ともまろやかな変化が折り重なっていく感じ。それはそれで楽しかったので続けていました。
最後にやってきた変化はそれに比べると余りに劇的過ぎて「あ」です。本当に「あ」です。思わず先生にそれを報告すると「仕込みが活かされた」とのこと。そうか、これは単独で起こった変化ではなくて、折り重ねた小さな変化、いや違うな。今までの変化自体が「1つ1つの種」だったという事か。それなら納得がいく。
近道ができない、それはきっとこの種の1つ1つがとても大切だから。そして繋がり合っているからだ。で、最後にこれが花開くかどうかはもう先生の手を離れている。だから「拾い上げて試してください」という言葉がいつも出てきた。「取り返しのつく失敗を沢山ここでして欲しい」と。まだある。「自分で育てあげて欲しい」「カラダは常に使い方に準じて最適化する」と。
最後の最後で思い知らされる感じなのですが、誰もが最初に言われるのは「自分のカラダを教科書にして育て方を学び直す」という事だと思います。これの意味、最後まで走り抜けたら良くわかります。
身体を壊した時と全く流れが同じなんですよ。全く同じ。これに気付いた時に鳥肌が立った。同じプロセスで結果が正反対になっているという事に。
負担を積み重ねて、上塗りして、最後の一押しを自分で通して壊したカラダ。私はそれでヘルニアを招きました。自分でヘルニアを育て、招いたのです。
そんな私がここで何をしたのか
身体の再教育を積み重ね、塗り重ね、そして最後の一押しを「あ」の瞬間に自分で繋げたカラダ。私はそれで「異常に軽いカラダ」を招きました。自分でカラダを育て、この驚くような感覚を招き入れたのです。
全く同じ工程を経て、手に入れたものは全くの正反対。
ああ、先生がいつも口にしていた「全ては自分次第、本質的には私の技術なんて不要なんです」という言葉、こういう意味だったんだ。
いや、凄いよこの先生。本当に凄い。健康の本質をずっと言葉にして伝えてくれていたんですよ。初診の時から最期の時まで。ずっとブレずに。
私がその言葉の本質を理解できず、いやしようとせず、ちょっとでも近道をしたいと思ったり、アレンジを加えて楽をしようとしたりしても、同じことを根気強く伝えてくれていたのです。そうか、先生は「気付く瞬間」をずっと待っていたのか。先生、自分は繋がった瞬間にやっと理解できたよ!これ遅くない??
我々が無意識に育てる負担の花。
ここではそれを循環の花に変えちゃうよ!
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