肩甲骨は「剥がれる」じゃないんだ!「浮く」んだよ!
無事に卒業しました。OBです!キリ!
とはいっても年4回のチェックは続ける予定です。だって新しい情報仕入れたいし、自分の感覚がズレていないかも確認してもらいたい。やっぱりしてもらうと安心するんですよね。自分を信じていない訳じゃないんですよ。でも先生に太鼓判を押してもらいたいというか。
で、自分の最終ランクはSAです。SSを目指しているのですが、どうしても「癖」が抜けきらないところがありまして。あ、でも先生には「超スパルタの評価で!」とお願いしているからかも。←泣き言
先生は基本的に「甘めの評価」で出してくるから自分の数値やランクを過信したらダメですよ!先生は「自信を持ってもらう為」と言ってました。あと「傷つけない様に」とも!それって結局私達が損をしている事になるので、しっかりキチンと評価をして下さいと言った方が絶対にいいです。←個人的な解釈。
で、タイトルの意味は何?となる訳ですが、これが私がここで感じた衝撃的な「あ」です。本当に衝撃的でした。
肩甲骨って「剥がれる」って思いますよね。あの背骨がグニュグニュ動くやつ。私もあれがゴールだと思っていました。で、上半身の宿題をしていたらいつの間にか剥がれていました。
ここまでは良くある話。肩甲骨を剥がすのは割といろんな場所で聞く話ですしね。終盤の宿題になると「感覚の練習」になってくるんですが、ここが私には「あ」の宝庫でした。
先生がいつも言っている呪文「力は常に下からのぼる」とか「外から内だと力がカラダを固める」とか「力が留まる」とか他にも山ほどあります。
この謎がドンドン解けていくよ!というか解けていった私の場合。
で!!!!
で!!!!!!
そこからが本当の「あ」なんですよ。これが私は「あ」を超えた「パオーン!」と叫びたくなった場所。誰かと共有したい。絶対に居るはず同じ感覚に辿り着いた人。
どういうことかというと「あ」と気付いた時に、パッと思いつくというか気付くというか。そんな感覚。降りてくる感覚。
「この為の今までの宿題だったんだ」
感覚が生まれる、感覚が生まれるという事は、その動きができているという事。宿題を通して創り上げたカラダがこの動きを可能として、その動きがこの感覚を脳に落とし込んでくれた。
全てはこの為の仕込みだったってこと?じゃないの?
先生は千里眼の持ち主なのか、世界地図を持ってるのかと思った。本当に。自分は目の前の事ばかり考えていましたが、先生はそのずっと遠くから俯瞰的にゴールと私を眺めていたんじゃないかなと。
あ、本題から外れた。肩甲骨。そう肩甲骨が「浮く」という話に戻そうね。
肩甲骨が剥がれるのは割と簡単でした。ただ、肩甲骨が運動にしっかり合流するのはやっぱり難しい。どうしても「腕」と「頭」で運動を作ってしまう。というかそれがもう最終形なのかなと思っていました。だって肩こりも首コリもなくなっていたから。何なら手先の痺れもなくなっていた。
これで十分だしなぁと思っていたのですが、ある時に「あれ?」と思う瞬間がありました。何か今までと違う感じ。力がスルッと流れていく感じ。宿題してたんですけど。
で「え?ひょっとしてこういう事?」と思って反復していると段々とわかってくる。あ、肩甲骨が「止まらない」ぞ。剥がれる時ってチョイチョイ力が溜まるというか、抑え込まれるような感覚があったんですが、それが無い。肩甲骨がホバークラフトみたいにスルスル「浮かぶ」感じ。
背骨と腕が肩甲骨を中継して本当に繋がった感じ。今までの繋がったは少し引っ掛かりがあったけど、これは無い。力がダイレクトに流れる。先生風に言うならロスが無い。首の負担が一気に軽くなった。肩が更に軽い。
まだ先があるのか、先があったのか。どれだけ奥が深いのよカラダ。何かワクワクしちゃいました。痛みとか違和感とかどうでもいい。この先の世界を知りたい。とにかくそれが最優先。
ええ、沼った訳です。トシカイロに。
首肩の症状で宿題が足首とか、最初は「?」となるかもしれません。でも結果を先に迎えた側から言えば「全部が私達の為」だと断言できます。
「先細りするその場の対応」ではなく「先々まで繋がる根本的な対応」を求めている人の為の場所だと思う。選ぶ自由はあるのだから、とにかく痛みを!となるなら他に行けばいいんです。選択も決断も行動も、全部自分でする事が大事って先生も仰っていました。私もそう思う。
私は最後に理解が追い付いたらこう言えますが、理解が追い付いていない時は何となくしかわかりませんでした。
わかった瞬間に身体が生まれ変わった。意識が変わるとこうも変わるのかと驚いた。
でもそれは仕込みがあったからこそだとも気付いた。
無駄な事なんて何一つない。それがここだ!
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