「整える」はしてもらう?自分でする?気付きの多い先生です
自慢じゃないですが、院巡りは相当にベテランです。でした。超ベテランでした。通った通った。どこかに自分を良くしてくれるゴッドハンドがいるに違いないと信じて。
「溺れるものは藁をもすがる」いや本当にそうだったと思います。ここの動画を見たときに「溺れるあなたが掴むものは間違いなく藁だ」という言葉がもう刺さった。というか私を貫通したw 真っ白になったぜ・・・・ まるで「それですよ、それ!」と言われている様な気がして。
あ、私は椎間板ヘルニアです。腰の。痺れが凄いあった。最初は坐骨神経痛と病院で診断され、オペしたら楽になるよと言われて「失敗は無いですか」と「後遺症みたいなのは無いですか」と聞いたら「無いとは言えない」と言われて様子見に。言えない事はわかるけど、言ってもらえないのはやっぱり不安。万が一を考えてしまう。やってみないとわからない事だとわかっているのに。ああ人間ってワガママ。
で、院巡りが始まったという「あるある」ですよね。ここに来たら仲間が沢山いたと知る。ああ、皆そうだよね、そうやって辿り着くよねここ。みたいな。だって最初からはよう選ばないよ。選べないよここ。何か濃すぎて。
だから私も凄い頼りがいのある先生ばかり巡りました。「私に任せろ!」「私が救って見せます」「もう大丈夫ですよ!」とハキハキ伝えてくれた先生に。
でもね。受けても受けても何も変わらんのです。一進一退というか。段々と不安になっていくんですよ。財布が削られていくし社会は私を置き去りにしていくし。これが心を削るのよ。地味にね。
自分は本当に良くなれるんやろか。大丈夫なんやろか。と社会復帰が不安になってきたときにこちらと遭遇。
「やる気あるならきんさいや」
こんな感じに感じた動画。そしてHP。何か今までの院と違うというか異質やなここ。そんな雰囲気にイチかバチかでお邪魔しました。
別にムキムキマッチョな先生が出てくるわけでもなく、かといってインテリ爆発なハイソなスーツ先生が出てくる訳でもなく。普通のお兄ちゃんでした。HPや動画から醸し出される重厚感と全然違う。
が、口から出てくる情報量は過去1でした。難しすぎる。細かすぎる。呪文のように永遠に垂れ流されていく。何を言ってるんだ先生は。と言う感じ。
意味はよく分からない。でも私でもわかるものはあった。それは私のヘルニアは何重もの関わりが重なり合って仕上がったモノらしい。「厄介だ」という事は十分に伝わった。
今までの院は「ヘルニア」で終わっていました。ヘルニア患者でありヘルニアの施術をする。ヘルニアの状態を経過観察する。病院もそんな感じだった。
ここは根本的に違う。ヘルニアを取り巻く環境を常にモニターして経過観察をする。ヘルニアを取り巻く環境を見据えて介入をする。見方が違うという感じかな。
例えば「ヘルニアは腰の筋肉が~」とか「姿勢の歪みが~」みたいな説明を沢山受けてきたのですが、ここの先生は「足の付け根がこうなって動けないから、そうなると腰が1人で頑張らないとダメな訳で、そうなると今度は肩甲骨が大変な訳で、ほらそうなると頭がこんな風に固まっちゃう。だからヘルニアもなるし。すべり症もなるし、片頭痛だってなるわけで~~」みたいな感じで立て板に水のごとし。もう前半2割で私は頭パンク
でもカラダに何かが起こっているという事は伝わってくる。先生が理解させようとしているのは一言一句ではなく「全体像のイメージ」じゃないかと分析。
確かにこんな状態になっているカラダを「ヘルニアなんでヘルニアをお願い」なんて言ってもどないするのさ、となるのがわかる。何となく。随分と無茶ぶりをしていたのか、私が。
そうか、それを当事者である自分がまず理解しないと、気付かないと何も進まないという事なのか。え?何?悪いの私?とちょっと辛い事実が頭をよぎる。
これは今だから言える事。それを念頭に伝えたい。
気付く場所とタイミングはみんな違うと思う。私も割と遅かったと思う。
目的意識を持つんだ!それも可能な限り具体的に!
私はここに来るまで「痛くなくなる=治った」と思っていた。本気で。
ここにきて「疼痛調整・疼痛緩和」という言葉を初めて知った。そして「整える事」の複雑さもここで初めて知った。もっと簡単に考えていた。
その「余りにザックリ認識」が問題を更に複雑にしていたのだ。あれも欲しい、これも欲しいと無理な要求を押し付けて
健康になりたいのか、取り急ぎ痛みだけ取りたいのか。それだけで道がはっきりと分かれる。・・そうだ。
だからどっちを進むのか。それを決める必要ある・・・・そうだ。
私は健康を選んだ。お金は掛かる・時間もかかる。でも働ける
私は選んで進んで元気になったぞ!
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