パーソナルトレーナーに限りなく近いカイロ
先週、無事に卒業となりました。自分はこれから「2軸歩行編」に移ります。ここまで来たら、やっぱり極めたい。だから進みます。
で、俊カイロについて私自身が感じた感想を紹介します。
「自分で自分を変えていく」
本当にそんな場所でした。イメージ付きませんよね?私もそうでした。どういうこと?みたいな。でも、紹介してくれた人からは「絶対にあなたには合う」と言われて試した勢です。
行っている事は「パーソナルトレーニング」だと私は思う。ただテーマが違う。独特。
「筋肉を鍛える」とか「見た目を変える」という美しさ側にはありません。ただ、結果的には筋肉はしなやかに、姿勢は綺麗に、ついでに動きがヌルヌルになったので、辿り着く場所は割と近いのかな?
でも、決定的に違うのは「健康レベル」と「健康知識」と「健康の感覚」がドカンと磨かれたこと。これはもうここでしかないと思う。
健康な身体を育てると、姿勢は良くなり、動きはヌルヌルとなり、そして循環系が良くなるのか、健康になる。何より理解が進むと「怖くない」という。
そう、自分自身が本当にレベルアップするんですね。何か特定のポイントがアップじゃなくて自分自身が底上げされる。健康に関してですけど。
痛みが来たら不安だったのが以前、今は痛みから出どころやプロセスなどを逆算して「ああ、だからか」と自分で勝手に納得できる。だから不安にはならない。冷静に対応する自分がいます。
そう、同じ出来事、現象を前にした時に「自分の見え方」が随分と変わった。それがこの俊カイロで得た最大の変化だったと思う。先生のいう「患者力」「考える力」ってそういうものなんじゃないかな。
自分に余裕が生まれたのか。そういうことですよね。
痛みを怖がる、違和感に不安を覚えるのではなく、「何故こうなった?」「何をした?」と自分を振り返る事ができる心の余裕。それは先生から得た正しい知識、正しい状態、感覚。そして宿題を通して得た経験かな。
そういったものが自分の中で実を結んだ結果が、今のこれじゃないかなと自分なりに思う。
となると、である。
ベッドに寝て、パキポキとされ、痛みが改善されるという従来の院スタイルとは全くここは違う。やっぱり違う。
リハビリ?というにはまた違う。一緒に考え、取り組んでいるのでパーソナルトレーニングが一番近い。でもマシンを使う訳でも無く、ベッドに横になり色々な検査をされとそこは院に近い。
そう、どこにも比べるべきものが見当たらないのである。
ああ、これがオンリーワンという事か。だから「ここにしかない」訳で、だから自分はここまで来ている訳で。
書いているとあれこれと頭の中で思考が沸いてくるのですが、これは間違いなく俊カイロ効果だと思います。考える癖がついてしまったw
物事には結果があり、過程があり、始まりがある。先生は症状にも全く同じ方程式が当てはまると教えてくれます。そしてそれを掘り起こせるのは我々患者自身しかいないと。
先生はあくまできっかけを作ってくれるし助け舟も出してくれる。でも、振り返る事ができるのは当事者である私達自身であると。
要は「自分のカラダだろ、健康だろ、自分で面倒みんかいや」という感じで「その方法なら幾らでも教えてあげる、できるまで付き合ってやるよ!」みたいな感じで。先生というか面倒見の良い先輩というか。
不思議な場所ともいえるし、変わった場所ともいえるし。
でも、カラダに関する知識量に関しては群を抜いているとかそんなレベルでは無いです。これは本当。命の泉みたいに湧き出てきています。学び倒している人が辿り着いた結論が「技術は人を整えない(原文ママ)」というのが凄い。でも本質的な気もする。今となっては。
今までは技術介入度の高い先生にばかりお世話になってきました。スパッと取れる痛みはスパッと戻ってくる。それは嫌というほど経験してきた道です。でも早くて楽で頼っていました。
自分で1から育て直した今、手間暇は掛かったけれど症状は緩やかに薄まっていった。フェードアウトした感じ。戻ってきてもフェードインみたいな感じで程度が圧倒的に緩い。安定感が確かに違う。それは感覚的にわかるドッシリ感。
興味深いのはそれを先生が作ってくれたのではなく、自分の手で先生の手を借りながら「育てた」という事。
そうだ、そうだ。それだ
「自分のカラダを通して、カラダや健康の育て方を教わる」
それが俊カイロだと思う。先生言ってたわ。そういう感じの事。
あ、そうだ「自分のカラダを教科書にする」だ。卒業してから思い出した。
すいません!!!!
- 千里丘駅
- 整体