のーべる さん
2025-05-13

自分の世界観が崩れていく

5.00

病院からの紹介で来ました。

私は健康についての関心は高いと思います。凝り性なタイプです。自覚あります。だからパーソナルに通っても選びに選んで、悩みに悩んで「この先生なら!」と選びました。ピラティスもそうです。どの様な先生なのか、そのバックグラウンドから調べて調べて納得してから通うタイプです。

20年近く自分の健康と向き合って、自分のカラダと向き合ってきて、でも頑張っているのに何だか結果がついてこない。いまだにぎっくり腰は毎年する。年1の恒例行事となっているかも。偏頭痛だって収まらない。不眠?睡眠障害?の様な眠れない起きれない症状だって中々なくなってくれない。

できる事は出来るだけ取り組み、最後は心療内科まで辿り着き。脳波を整えるという整体、自律神経を整える整体まで通いました。でもあんまり変わらないんですよ。

何でだろう。と考えながら漠然と通院していたらこちらを先生から紹介されました。カラダの事をキチンと勉強できる場所ですと。

それなら今まで散々通ったよ。海外帰りの有名な先生とか、有名な人のお弟子さんとか。それ以上なんてもうないんじゃないかな。だってオリンピック選手の専属だった人もいたんだもん。

本気でそう思っていました。だからまぁいっか、試して減るもんじゃないしと。こういう人っているのかな、この院に行く人で。私は割とレアケースだったかも。

行ってみた。

カルテ殆ど×だった。

ストレッチボードなんて立てなかった。いえ、私は立っているつもり。簡単じゃん。と思っていた。先生は「そこじゃ無くてここを使って欲しい」と手を加える。途端にできない。いや無理だって。

先生の一言「この動きが本来の自然なんです」と。「は?」となりますよ。いや無理でしょうと。動かないもん。どうしろと。

その後の検査もことごとく「×」が続くとちょっと何か怖くなってくる。自分の感覚が信じられなくなるというか「え?これが普通じゃないの?じゃあ私の感覚って何?」と。今まで色んな場所で勉強して練習してきたものっていったい何だったの?

え?私は今まで何をしてきたの?

先生には最初の問診で「はっきりと伝えて欲しい、オブラートに包むのは無しで」と書いていました。だから先生ははっきりと伝えてくれました。

「基本的な動きが人工的なモノに置き換えられています」

「力が外から内へ入り込んでいます」

「肩・股関節が土台として使われている、運動に参加していない」

「手首と足首に依存をし過ぎている」

「膝が運動の主役になっています」

こんな感じで抱えている課題点をドンドン伝えてくれる。というか「終わり」が無い。足元から首まで隅から隅まで向き合うべき課題点を伝えてくれる。

これは本当に親切で誠実で先生の優しさなんだけど、創り上げてきた自負がある私にはきつかった。ちょっと茫然自失になっちゃった。仕方ないよ。キツイもん。

今は違うよ、全部受け入れた。何でこんな事を残しているかというと。!!

ここがきっと分かれ道だから。

先生は意地悪を言っている訳じゃない。淡々と「事実」を伝えてくれているだけ。

私達がその「事実」と向き合えるかどうか。目を背けるのか、目を逸らせるのか。そこで未来が変わると思う。決まると思う。

認めることができて、受け入れる事ができて、1つ1つを克服していく事ができたら健康なカラダが内側から育っていく。芽吹いていく。

目を逸らして「そんなはずはない」と突っぱねると今までと何も変わらずに状況は悪い方向へと転がり落ちていく。

結局は「自分次第」だということ。それがここで学べた沢山の中でも特にピカピカ光っている。

自分を変える事。それには「今の自分」を知る事、理解する事、認める事。

先生が最初の方で言う「痛みも健康の一部」という言葉、本当に本質的、重い。

痛みのもっと手前の違和感。これが何となくでもわかる様になると世界が本当に変わる。

「これが普通なんだ」と感覚が切り替わった事を感じ取れたら沢山のモノが変わる。あれだけ座りたがりの私が座れなくなった。座るとしんどい。立つと楽。

立つってこんなに楽なんだ。

こんな発想持つなんて思いもしませんでした。

普通に立っているつもりが真っ直ぐ立てている。周りを見ると休め!の姿勢で偏っている。

先生が言っていた風景と感覚が今、やっと私の中にも芽吹いてきた。

芽吹いた理由は簡単です。「私自身が変わったから」

他人任せの健康ではなく、自分で世話する健康を学ぼう。ここの先生はそれを教えてくれるよ~!

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