駿風に「きみたちは何を求めるか」と問い掛ける
看護師です。こちらにお世話になった理由は1つ。確かめたかったから。自分が勤めるクリニックの先生が何故か一部の患者さんにこちらの院を紹介している。
全員ではなく一部。何でだろう?と先生に聞いてみたら「あの院を求めている人だと感じたら紹介している」とのこと。同時に「そうじゃない、という人には意味不明な場所になっちゃうからねw」と笑う。
ちょっと意味が分からない。先生は年4回通ってカラダの状態を診てもらっているそうです。「後は自分でやってみてください、なんて言われたら逆に不安になっちゃって」と。
何か変わった対応だな、と気になってました。
その後、先生が紹介する人としない人を自分なりに分析していると「質問の多い人」に多い気がする。
益々気になる。これが始まりです。先生に「私にも紹介してもらえませんか?」とお願いしたら「いいよ」と快諾。紹介だと予約が早いそうで、紹介してもらえる事に。
初診の前にオンラインで問診表が届く。おぉ時代だ。これは確かに効率的。そして初回に臨む。
ああ、ここは賛否が分かれるわけだ。
初めて受けた日、私はこう感じた。「だから賛否が分かれるのね」と。そして先生が紹介する人を分けていたのも納得。先生は良くも悪くも「選別」していたんだなと。
私が感じた俊カイロを紹介したいと思います。選ぶ際には参考にしてもらえたらと思います。
〇事実が淡々と流れ込む
医療系の資格者が受けたらすぐにわかると思います。ここは淡々と「医学的な事実」が情報となって流れ込みます。何一つ「抽象的」なモノが無い。先生が思う・感じる情報ではありません。医学的な検査を行い、その結果を淡々と先生が伝えてくれる。そこに「私はこう思う」という先生の考察が入るだけ。あくまでソースは私達患者のカラダがどう示したかであり、正常と比べてどうなっているか。更にはそれは一体どういう事を示しているのか。
難しいのは検査が繋がり合っている事。これは私も今まで勤務した病院・クリニックで見た事がありません。複数の検査を組み合わせて、カラダの状態を全身単位で管理・把握されます。リハの先生などは理屈として理解はしていても時間的な制約でここまで検査・確認はできないはず。していたら仕事が回らない。
120分を長いと感じる人は途中で感じるはずです。「あっという間」だと。もしも「長い」と感じる人はそもそもカラダに関心が無く結果を求める人だと思います。(だから先生は選んでいたのかと思う)
〇教えてくれるが委ねられる
ここは検査・検査・検査でカラダを隅々まで調べて、「今、どの様な状態か」と「今、何が求められているか」を炙りだしてくれます。そしてここから先が独特。
「じゃあ、これやってきてください」
そう、完全にこちらに委ねられます。「在宅ターン」と呼んでいました。今、院でできる事は全てやり切りました。次はご自宅であなたが取り組む番です。そしてそれをこなした上で次に臨んで下さい。
「院に来たら完結」ではありません。宿題が出て次のステップに進む感じです。でもそれが何故必要なのか。それは先生が全て説明してくれます。更にはカルテで教えてくれます。ピラミッドでも教えてくれます。更には宿題には動画がある。
「至れり尽くせり」で「後はやってきて」という不思議な投げ方。
自分で行動できない人には確かにキツイ。多分続かない。でも自分のクリニックを鑑みても納得する。「決めてもらいたい人、来て安心するだけの人はもれなく慢性化する」という現実は散々見てきた。
そうか、本当に抜け出したい、手間を惜しまないという人を見極めてうちの先生は紹介をしていたのか。納得。
〇やると変わる
実際に宿題を頑張る。といっても1日90秒×2くらい。別に気にする程度でもない。でも確かに変わる。それは納得した。
今までヨガやピラティスは通った。パーソナルも頑張った。でも変わったのは頑張っていた期間だけだった。そういう意味ではこの宿題も同じかもしれない。でも「たったこれだけ」で起こるには贅沢な変化だ。
きっと先生がいう「適切な順番」で取り組んでいるからなのかなと納得。自分のやりたい場所から、なんてうまくいかない。そりゃそうか。
自分を通すのか、カラダの声に耳を傾けるのか。それなりにカラダを理解・実感している人でないと確かに無理だ。我慢できなくなる。
〇専門家を頼れる人でないと
私なりの結論
ここはまさに専門家が待っている。だからこそ専門家に依存する・委託するではなく「頼る」形で関われる人が望ましい。
委託・依存の人は勤務先でその結末を見続けている。何も変化無くそこに居続けている。
本当に変わりたい人、変われる人、その人に道を示す為の場所なのだ。
私は1人納得したのであーる!
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