向こう側に渡っている先生だ
理学療法士をしています。紹介でお世話になっています。
自分は勉強のために通っている立場ですので、それ程の症状を抱えている訳ではありません。当然同業プランで通っています。
ここに来るまでにも色々なセミナーや勉強会には参加してきました。かなりの投資をしています。ですので割と自分の技術にも自信はある方でした。
紹介をされたとき「あまり深く考えない方がいい」と紹介を受けたのですが、その意味が受けてわかりました。
先生が良く言葉に出す「向こう側」ですが、これは「医学書」に限りません。「教科書」にも「技術」にも当てはまります。もう全部です。
例えば筋力検査。先生は既に「教科書の向こう側」に辿り着いていると感じます。私たちは教科書通りに学び、覚え、そして実践します。
先生は違う。時に組み合わせ、時に応用に踏み込み、Aという検査にBの意味を持たせ、AとCを組み合わせDという結論を導く。
検査を使いこなすとこうも情報が飛び交うのか。技術力より発想力に驚きます。しかもそれが「必要だったから」という理由で。もう「必要は発明の母」を地で行く様な先生です。
掘り下げ方が尋常ではないので確かにマニアックな部分もあります。ですが個人的にはどれもが本質的で必要なものだとも。
施術が副産物とは言ったものだと思う。先生にとってはひとのカラダの探求こそが仕事であり、施術はその副産物そのもの。だからこそのこの形だと思う。
施術が仕事になっていると、この形での関わりは絶対に無理です。採算に合わない。
商品として磨き上げることよりも作品の追及をする先生。そのスタンスだからこそ到達できるレベルの内容。
湯川教授じゃありませんが、実に興味深い!自分も負けていられないです。
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