超理論派なのに東洋医学的な考えも
凄い新鮮でした。全く違うベクトルの「整体」ですよね。ここ。
先生がズババっと楽にしてくれるのが「整体」だと私は思ってきたのですが、ココの「整体」は全くベクトルが違う。だから皆勘違いをしてしまうのだと思うのです。
本当にここの先生は「痛みを今すぐ何とかしよう」という考えでカラダと向き合っていません。そこをまず受ける側が理解しないと噛み合いません。そして先生はHPや事前のメールでそのことについて凄く何度も確認をしています。
それでも「痛みが取れなかった」と不満を感じる人がいる訳です。→うちの父。
答えは簡単でした。
「殆ど読んでいない」
一方で隅々まで読み倒した私と妹、従妹とそのお母さんはとても楽しく通えました。
何で読まないのか?どうして先生の話に耳を傾けないのか。我が父の話を聞いて分析してみました。→この時点で先生の思考が憑依した気がしますw
父はカラダの事に興味が無い。不便だから痛みは何とかしたい。
理解した体で居ないと施術を受けられないと思ったから頷いていただけで。「受けたら勝ち→良くなる」と思っていた様でした。
・・・・・
そんなわけあるかいや!w
1つ目のボード20度すら立てていない我が父。だがしかしNHKで目にした医師監修の腰痛体操は毎日欠かさず続けている。→NHKの腰痛体操はもう半年続けており、先生のところには2回だけ通った状態。
そして不満の矛先が先生に向かっているwww 気付けおとっつぁん。そりゃあんまりだ。
先生がどうして会話を大切にするのか。どうして自身の捉え方を言葉で伝えてくれるのか。わかった気がしました。
我が親父殿はスタートラインにすら立てていない。予選突破できていない。
「何でもいいから何とかして」の心づもりで臨んでいる。だから何も耳に届かないし取り組みも適当だ。何より興味が無い。関心も無い。
あるのは「痛みがマシになっているかどうか」だけである。
だからか。だから良くならないのか。
私達が当事者としてカラダに耳を傾ける事ができるのか。そしてその気があるのか。
その気が無ければ先生の言葉は何一つ届かないし、価値が無い。先生自身も無理に寄せようとはしない。そりゃそうだ。だから個人院としてやっているのだから。
痛いの痛いの飛んでイケーが欲しければリラクゼーションかパキポキでいいと思う。
もっと奥深い場所にある「健康とは」「自然なカラダとは」と先々の人生を含めた「健康の在り方」「自分の在り方」を掘り下げたい場合はここがいい。
というより
「ここしかない」→私は確信する
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