とんでもなく深い
想像はしていたけれど、想像を超えて深かった。
痛くないことが健康。
痛くなくなるのが神の手
動く様になるのがゴッドハンド
ずっとそう思っていました。
私もそうです。結局は戻り、その度に解決してもらうことの繰り返し。
健康ってこういうことなのか?私は神の手で健康に戻してもらっているのか。
健康を私がまた壊しているのか。日常生活だもんな。
いや、まてもっと大胆な仮説は立てられないだろうか、
そう、そもそも健康に戻してもらっていなかった。なんて。
痛みは取ってもらっていたけれど、健康にしてもらっていたわけではない。あくまで「痛くない」状態にしてもらっていただけ。
そう考えると辻褄が合う。症状がリターンするのも納得だ。痛みを遠ざけていただけなのだから。
そういうちょっとしたへそまがり?な意識を持ち出した以上、ここに漂着するのは時間の問題だった気がする。
複数人の神の手の施術を数年間受け続けていた私のカラダはランクDとC-だった。
神の手が太鼓判を押してくれた身体がこのランクだった。頭からイナズマが走りますが逆に安心もできた。「やっぱりそうだったんだ」と自分で納得できた。
カラダがこの状態なら戻るよね。そうだよね。ああ納得。今から本番だ!と気持ちを切り替える。
本当にいろんなことを考えさせられる。
痛みのないランクDを健康と呼ぶのか。はたまた痛みがあるランクAを健康というのか。
それはもう哲学的なお話だ。先生の受け売りで「痛みをどう定義するか」によると思う。
痛みを遠ざけるべき存在にすると痛くなければ健康になる。一方で痛みもまた理由があると受け入れると痛みの有無、違和感の有無それ自体が健康の一部となる。
そうなのです。そうなのだ。ここの先生が認識する健康という言葉は私達の健康という感覚とは明らかに違う。もっと広義で捉えられた概念だ。
痛みを遠ざけず、耳を傾ける。痛みを抑え込まずに出てきた理由を求め、対処する。結果的に痛みは治まっていくというこの流れ。とてもスマートに感じる。
痛みや違和感、不便を通して健康を改めて学ぶ場所、それがこの院最大の特徴だと思う。
痛みを急ぎ取りたいという人は別に向かうべきだ。こことは空気が合わない。
正しいことを知りたい、教えてもらいたいという人は一目散にここを目指そう。間違いなくここでしか得られない情報が多過ぎる。
検査を受けてみるといい。ここまで細かく検査をする先生が他にいるだろうか。私はそれなりの人生の間に1人も遭遇していない。
1日4人?か5人しか見られないのも頷ける。それ以上は先生の気力が持たないと思う。それくらいこちらのカラダを見通すことにエネルギーを注ぎ込んでくる。
断言しよう
この内容でこの金額は余りに安い。安すぎる。
高いという人は「ミスマッチ」だ。マッチしたなら「安い」と感じるだろう。
それくらいに確実に間違いなく「人を選ぶ」院である。
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