元気で生きる為に通う
自分は大きな病気をしています。命にかかわる病気です。
手術をして、リハビリもして、今は元気になっていると思いたいですが。でも、以前の自分とは違うわけです。それは自分が一番よくわかる。
以前の自分とは違う。確実に弱っている。だからといって「仕方がない」で済ませたくない。1度きりの人生です。
なら自分には何ができるのか。何をすべきなのか。
前向きに生き抜くためにひつようなこと。
リハビリ中に思い知ったことは「体を使えることがどれだけ普通で特別か」ということ。ここまで身体は衰えるのか。そう嘆きたくなるほどに体の自由が奪われました。
だから、自分の体をキチンと扱える様になりたい。全身の巡りを整えて「内側の力」を最適化させたい。悔いだけは残したくない。
自分の人生、命に賞味期限があると思い知ったからこそこの院の素晴らしさに気付けたと思います。手術前なら選択肢にすら入らなかったはず。
人間は現金なものです。
でも、気づけたことで私はたどり着けた。
ここの施術は痛みとも向き合ってくれます。でもなによりも「命」そのものと誠実に向き合っていると実感できます。「生きる」ということのほうが当てはまるかな。
人の身体と真摯に向き合い、というか私達が向き合える様に寄り添ってくれる。
これこそが「整える」ということの本質だと感じる。
「してもらう」ではなく「できる様に教えてもらう」
地に足つけて生きるということはきっとこういうことなんだ。
私はそう感じている。今では自分の身体もとても愛しく感じれる。
最後まで一緒の「相棒」なのだ。
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カラダに関心がある人向け
健康に関心がある人向けです。
私の他に母親と父親がお世話になっています。
私と母親はカラダにとても関心があり、先生の話がとても楽しいです。宿題もキチンとこなし、目的もキチンと理解しているつもりです。
なので割と早い段階でAAランクに入り、症状もおさまってきました。
問題は父です。
行けば良くなる。良くしてもらえる。
受けてたら良くなる。取り敢えずしておけばいい。
こんな感じで取り組んでいるので私から見ても宿題が「正しく」できていない。でも本人は「しているから」という感じでいる。
結果、何も変わらない。施術の後は楽になるんだけど数日で戻ると愚痴る。
外から見てると良くわかる。
戻るも何も「進んでいないだけ」なんだなと。
先生はここまでお膳立てしてくれているのに、当事者が、当人がこれでは何も前に進まない。
先生が最初に仰る「本人次第」という言葉がドシンと響く。
健康を手に入れたいなら、今までの自分を少しだけ変える気持ちが必要なんでしょうね。
私も母も、今まで知らなかった事、知りたいことが幾らでも学べるのでここは最高です。
でも父にとっては「あれこれさせられる面倒な場所」に映っているのだろうと思います。
他人任せの健康は成り立たない。私は父を見て本当にそう思う。
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