身体を通したカウンセリング
個人的な感想ですが、身体を通したカウンセリングだなと感じています。
先生の口を通して出てくる言葉は初見で理解できる人はまずいないと思います。
理由は簡単です。余りに深過ぎる。
先生は意図的に全てを伝えてくれます。これが「試されるのは私達」という意味だと思う。
自分のカラダと自分で向き合う気持ちがあるかないか。気持ちが無い・足りていないと情報量に頭がパンクしてしまうと思う。
確かにお任せの院では無いな。
超高性能AIがセットの分厚いカラダの取り扱い説明書
これが私の感じた俊カイロ。
質問を投げかければ何でも答えが返ってくる。こちらから働きかける限り永遠に情報が流れてくる。
でも「読む」のも「聞く」のも「理解する」のも私達自身の「脳」となる。この知的作業が体力を奪う(笑
そうした作業を省きたいから専門家を頼るというのもアリだと思う。ただその場合は間違いなくここではない。
自分を教科書にする。成程なぁと実感する。自分で感じて人は初めて納得する生き物だ。だから自分自身の感覚で腹落ちすることを目指す。
ここで培われるのは付け焼刃の知識ではないし経験でもない。ましてや対症療法でもない。
カラダの根本、感覚の根本に対して働きかけていく。
気付けるか・気付けないか。
求めるか・諦めるか。
決めるのは自由、そして決めるのは私達自身なのだ。
答えを提供されたとき、私達の覚悟の程度が本当に試されている。気がした。
適当に答えをなぞるか
正しく答えを追いかけるか
自分なりの答えで突き進むか。
ここで自分に甘く、都合よく答えを選んでしまいそうな自分がいる。
都合よく選び、都合よく困り、悩み、先生に問う。
そうか、私は真剣に悩み相談をするが先生から見た風景は「今、必要な事が十分にできていない」と映っているのか。
ああ、先生に相談をする前に「すべきことをしたら良い」だけだった(笑
私は割と長く通っています。それは覚えや気付き、納得が他人様よりかなり遅いからです。
でも、先生は何度でも同じことを丁寧に答えてくれる。いつまでも待ってくれているのだ。同じ場所で右往左往している私を。
諦めの悪い自分にはとことん向き合ってくれる先生。
数えきれない失敗と勘違いの中で気付く事。その瞬間に世界が変わる。
「こういうことだったのか」
この感覚は是非味わってほしい。まだまだほんの一部しか見えていない私でも、一気に霧が晴れたかの様な感覚に襲われた。
フワッと視界が広がる様な。
ああ、これが経験、感覚を通して掴んだ感覚なのか。これを先生は伝えようとしてくれていたのか。
私はもっと先が見たい。先生は言ってくれた「伸びしろだらけのカラダ」であると。
「取り返しのつく失敗」を沢山今ここでするべきだと。
- 千里丘駅
- 整体