
美肌の湯を堪能
第6回喜連川公方ひなまつりで訪れました。ロビーには数多くの昭和以降に制作された雛人形が飾られております。受付の人に伺うと最初は1つだったそうですが要らなくなって持ってこられる方が増えてコレダケの数となってしまったと言う事でコレ以上増えると飾る場所がないので現在は受け入れを中止しているとのお話でした。先程道の駅きつれがわで購入した湯めぐり温泉手形を使用し入館です。脱衣所には貴重品入れがあるので安心です。身体を流して露天風呂に浸かりました。pH7.5のナトリウム-塩化物強塩泉の湯の主な成分はナトリウムイオン6686mg、カルシウムイオン560.2mg、塩素イオン10988mg、硫酸イオン424.3mg、炭酸水素イオン102.7mg、メタケイ酸84.0mg、メタホウ酸71.2mgです。注目する所は塩素イオンがとびぬけて多くコレダケでは肌が傷みますがカナリの量が入っているナトリウムイオンが肌の保湿でカバーしております。ソレだけではなくメタケイ酸が基準値の1.5倍強、メタホウ酸が基準値の14倍含まれているので美肌の湯と言われる所以でしょう。外気の影響にもより温めで気が付いたら1時間半近くも浸かっていました。ツルツルスベスベ館はありませんがキシッとした湯で温泉成分の特徴により浸かっていると口元がショッパク感じます。またソノ特徴によりダイエット効果が期待でき体が幾分引き締まった気がしました。
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足利尊氏公開基のお寺
第6回喜連川公方ひなまつりで訪れました。朱塗りの山門を潜ると境内には喜連川藩足
利家歴代の墓所(さくら市文化財)があります。門の格子から中を窺うと石塔や石灯籠
があり整然としておりました。14代にわたる藩主、御台所、嫡子の墳墓の周囲は築提
が廻らされ安心して眠りにつかれているようです。本堂に上がらせて頂くと七段飾り、
一段飾り、ミニびな等が飾られていて目を楽しませてくれました。真摯に死と向き合っ
た名僧である恵心僧都作の菩薩像はたおやかでありながら目力が強く魅力のある仏様で
す。虹梁や蟇股に彫刻が施され足利家の家紋が目に付き須弥壇には随所に花々が飾られ
権威と華やかさが感じられました。御所様と呼ばれた格式高い喜連川藩主の菩提寺なら
ではです。機会があれば足利尊氏公木像(さくら市文化財)にもお目にかかりたいもの
だと思いました。
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那須町の近代消防の歴史が分かる
企画展「那須町の近代消防史ー火事・災害・警護ー」を見に行きました。M割で入館料100円です。那須の消防の歴史は1894年に那須村で消防組が組織されたのが始まりです。そして那須御用邸が設置された那須村の湯本は上水道と共に消防設備の近代化が進みました。東京で生活されている陛下や皇族の方々に何不自由なく満足してもらいたいために那須村の金銭的負担も大きかったそうですが御用邸設置は那須の自然と温泉に魅力があることの表れでもあります。明治、大正と御用邸は何事もありませんでしたが遂に1930年御用邸付属の官舎が火事となりました。黒磯町消防組と那須村消防組と御用邸修繕工事中の職人の453名で消火にあたりましたが官舎2棟が焼けてしまいました。現在でも山火事では多数の消防隊が消火にあたることは良く見かけますが1か所の建物の火事でこれだけ多くの人が携わることは御用邸ならではだと感じました。次は那須村消防組・消防団を3代にわたり支えた笹沼家に焦点を当てており那須の消防組織が強固になる歴史でもあります。伊王野村も同じ年に消防組は誕生し館内に使用された纏いやハッピが展示されておりました。現在では考えられない軽装です。芦野町消防組と警防団のことは那須村同様に資料と併せて詳しく解説されておりました。時代が進むにつれ消防活動だけでなく様々な行事や会議に参加して忙しい日々を送っていたことが分りました。消防組から警防団へと組織が強化され防空演習、灯火管制、救護訓練などで指揮を担い空襲に備えたそうです。住民を守る立場の人達の気苦労が垣間見えました。腕用ポンプが展示されております。1938年の物で手動で放水する器具です。持ち手を動かしてみて当時の消火活動の大変さが実感できました。
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