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織田信長公側室、「吉乃の方」の実家である生駒家の祈願所であったお寺

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投稿日

名鉄布袋駅から徒歩10分程度のところにある曹洞宗のお寺で、所用で江南市内に出向いた際に立ち寄りました。

同お寺は、織田信長公の側室である「吉乃」(きつの)の方の実家である生駒家の祈願所となっていたお寺ですね。

また、生駒家の菩提寺である有名な「久昌寺」の末寺でもあり、戦国時代の戦火等で朽ち果てていたようですが、永禄年間(1560年代)に生駒市家により再建されたようです。

さて、山門前には「生駒屋敷」の大きな案内板があり、同寺が生駒家との大きな繋がり又は、所縁を物語っていますね。

山門を潜ると、普通のお寺さんのように仏殿、五輪の塔、長灯篭などあり、仏殿の向かって左側奥は墓地の敷地となっております。

同寺に最も深い関係のある「生駒屋敷」は、300m程行った江南市立布袋東保育所の左側隣接地(玄関口から見て)に所在していますので、写真を是非ご覧下さい。
同寺の本山である「久昌寺」もその周辺に所在しています。

ご住職がお見えでしたら話を伺いたかったですね。

同お寺に訪れた際は、近隣の生駒屋敷、久昌寺、蜂須賀家の居城である宮後城址などを是非散策して下さい。
中世又は、戦国時代の歴史好きな方は必見です。
但し、城館の跡ですので、土塁の一部が残っている程度です。


歴史ポイント(追記もあり)
1.生駒家について
織田信長公の側室であった「吉乃」の方の実家である生駒家は、信長公、秀吉公に仕え、関ケ原の戦いでは東軍に属し、徳川家康公の家臣として代々続き、江戸時代初期には高松城主に任ぜられたお家でした。
「吉乃」の方は嫡男・信忠公(本能寺の変で討ち死に)、次男・信雄公(家康子公から5万石を与えられ分家子孫が代々大名)、徳姫(家康公の嫡男、信康公の正室後、信康公が自害し他家へ嫁ぐ)を生み、正室である濃姫(斉藤道三公の娘)よりも愛された女性であったようですが、産後の肥立ちが悪く29歳(諸説で異なる)の若さで亡くなったようです。
また、家康公は子沢山でしたが、天下を志した信長公(正室、濃姫)、天下を治めた秀吉公(正室、おね、高台院)のご両人正室には子宝(側室は別)には恵まれなかったですね。

2.蜂須賀家について
蜂須賀小六正勝公(以下、正勝公)は、信長公重臣の秀吉公に仕えていましたが、父である正利公(蜂須賀城)の死後、実母が住居していた「宮後城」に居城しました。
その城は、正勝公の嫡男で、徳島藩祖である蜂須賀家政公がその地で誕生したようです。
また、宮後城址も同お寺から近い所に位置し、蜂須賀家所縁の宮後八幡宮も宮後城址から徒歩数分の所にあります。

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写真

概要

店舗名

般若寺

ジャンル

電話番号

住所

愛知県江南市小折町八反畑47

アクセス

最寄駅
バス停
  • 北山町から520m (徒歩7分)
公開日
最終更新日

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