口コミ

南北朝時代に活躍した水野又太郎良春公の墓があるお寺

5.00
投稿日

同お寺は、臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は安生山と言い、隣接市の愛知県瀬戸市にある「定光寺」に属するようです。

同お寺の開基は、新居城主である水野又太郎良春公の弟君である報恩陽(僧侶)を定光寺から招請し、南北朝時代の1368年に創建されました。

同寺内には良春公ら、水野家代々の墓がある水野家の菩提寺となっています。

さて、真っ先に目に留まったのは、真新しく改築した山門とお寺に沿った外壁でした。

私の目的は、御利益(ごりやく)、趣味、自己啓発等のために、神社仏閣を巡っていますが、同寺では「水野又太郎良春公」の墓に参拝したかったのも目的と一つでした。

事前の調べでは本堂の裏側にあるとのことでしたので、山門を通り抜け、墓地のある左側を進み、奥まったところにあったのが写真のお墓でした。
しかしながら、良春公の墓前には参拝出来るような道ではなく、竹林と女王クモなどのクモの巣などに覆われていたため、3m位前で見るしかなかったのが残念でした。

そのような中、境内を散策させて頂き、大きな弘法様の像があるとの情報で、お寺に沿った隣接地の山を通っている時に、「水野又太郎良の墓」という看板があり、裏山からも行けるのだと思いましたが、その道には大きなクヌギの木があり、大スズメバチが10匹以上樹液を吸っていたため、裏からの参拝も断念しましたね。所々の木々でも大スズメバチが居ました。
その中には、季節外れのカブト虫も数匹居ましたが大スズメバチを避けるため、3m位遠目から確認するだけでした。

その丘陵頂部の周辺は、樹液の臭いが辺り全体に漂い、クヌギなどのドングリ系の木々が多く、昆虫取りも良いと思いますが、大スズメバチが居ると子供達に危険が及ぶため、明け方の早朝(昼間から夜間は危険)であればハチも少ないため、明け方からの昆虫採集が良いと思われます。

そこを抜けると、珍しい穴弘法様という穴の中に弘法様を祀っている、人がやっと入れるような小さな洞窟がありましたね。私は中は現認しなかったですが。

その穴弘法様を通り過ぎながら、少し丘陵を上がると、大きな弘法様が見えてきました。
どうでしょう、目寸で弘法様自体の像は7〜8m程あり、お参りに見えていたご老人にお聞きすると以前は色なしの像で、有志たちの寄付でお色直しをした綺麗な弘法様に替わったようです。
弘法様の土台を含めると10m以上ある、おめかしした弘法様は御利益が有りそうです。

歴史があるお寺とおめかしした大きな弘法様を訪ねてみては如何ですか。お勧めです。


歴史ポイント
水野又太郎良春公は平氏の子孫で、室町時代初期又は、南北朝時代に活躍した武将です。
良春公は、元弘の乱で僧兵の将として戦い、その後に新居村(現、尾張旭市新居町)を開いたようです。
名鉄瀬戸線、尾張旭駅のロータリーには、勇壮な良春公のブロンズ像(写真参照)があります。尾張旭市には水野姓の知人がいますがその末裔のようで、明治時代に戸籍制度が確立され、その地の水野氏一族から名前を取った人も多くおり、尾張旭市内には水野姓も多いですね。
また、桶狭間の戦いで今川義元公の首をとった人物は、織田信長公の家臣である毛受庄助公ですが、毛受庄助公も水野氏の一族です。
エキテンで尾張旭市内の寺院を検索して頂きますと、庄助公も紹介しております。

39

写真

概要

店舗名

退養寺

ジャンル

電話番号

住所

愛知県尾張旭市新居町寺田2956

アクセス

最寄駅
バス停
  • 新居町から90m (徒歩2分)
公開日
最終更新日

店舗・施設の情報編集で最大80ポイントGET