住所: 〒522-0064 滋賀県彦根市本町二丁目3番7号
TEL: 0749-22-0801 FAX: 0749-22-9881
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幕末彦根の左右を決めた寺
 本尊は淀殿の念持仏
宗安寺(そうあんじ)の始まりは群馬県高崎市の安国寺に由来しており、徳川四天王の武将といわれる井伊直政公が深く関わっている。
 直政公は1590年に神奈川県の小田原征伐などの戦いで功績をあげ、同年の徳川家康公の関東入国とともに上野箕輪城十二万石を与えられた。その際、正室の両親の供養のために荒廃していた安国寺を復興した。
 そして、直政公は1600年の関が原の戦いでの勲功を称えられて石田三成公の近江佐和山城の城主に。そこで安国寺も付近にと城のそばに高崎安国寺を分離させて建立。正室両親の戒名を一字ずつとって宗安寺と改名した(住持成誉典応上人が開山上人となっている)。江戸幕府が開かれた1603年、彦根に城を移し、宗安寺も現在の位置に移築された。
 宗安寺は井伊家の強大な保護を受け、家康公死去後、同じ浄土宗ということで家康公の位牌奉安所となり、藩主自ら参拝にくるようになった。また当時、城下町のほぼ中心に位置していた宗安寺は隆盛をきわめ、1695年には僧侶35人・寺男11人・塔頭四庵・末寺八ヵ寺を有し、本山クラスまでになった。
 ところが、1701年の彦根大火で佐和山城正門だった赤門(現存)を残して全焼。翌年に長浜城付属御殿をもらい受け、本堂とした。その後も彦根藩の集会所の役割や藩士の会合、朝鮮通信使の宿、幕末には彦根藩が幕府側か朝廷側のいずれにつくかの会議所などとして使われ、彦根の左右を決める所となっていた。
 本尊は大坂夏の陣で井伊家臣が大坂城の仏間から拝持した淀殿の念持仏と言われているもので、修復の際、『文永七年(2170)……佛子阿澄」と記された写経や写仏が体内から多数発見され、県の文化財に指定されている。また、家康公の位牌を祀る権現堂や先の朝鮮通信使の肖像画(市の文化財)など寺宝も数多い。
(浄土宗新聞 平成7年2月号より)  

口コミ

IBM2025
IBM2025 さん

観光客も立ち寄りやすい立地

3.50
投稿日

彦根市の夢京橋キャッスルロード沿いにある、お寺です。
お土産物店や、飲食店など多数のお店が揃う通りにある、お寺で、観光客も気軽に立ち寄れる雰囲気のお寺です。
立派な観音様や、見応えのある鬼瓦などがあり、境内は、綺麗に整備されており、気持ち良く参拝できる雰囲気がありました。また、厄除猿があり、願いを書いて、ぶら下げて祈願できるとの説明もありました。厄除猿は、500円だったと思います。お寺の近くには、コインパーキングが多数あり、車でのアクセスもしやすく、遠方からも気軽に立ち寄れると思います。

0

戦国時代、果敢に戦った若武将の首塚があるお寺

5.00
投稿日

彦根市内の関係機関に出張の折り、前日の台風の影響で出発時間を繰り上げ、午前中のアポイント先を断ったが余りにも早く着き過ぎて、彦根城(金亀公園)周辺を散策していたところ、彦根城の内堀を渡ったところにキャッスルロードなる城下町風の造りをした店舗等が並んでいるロードの終りの右側(城を背にして)に目を向けると、重々しい山門の左横に、「徳川家康公 御位牌」、「淀殿 念持仏奉安所」、「石田三成公 念持仏」と書いたボードが目に入り中世、戦国時代の歴史が好きで知識も豊富(自称)に持っているつもりの私は何のためらいも無く、山門の前で一礼をして境内を見させて頂いた。

同お寺は、浄土宗、弘誓山天白院宗安寺と言います。

境内内を見て吃驚、大坂の陣で西軍の真田幸村公と匹敵するような若武者である木村重成公(重成公の父は賤ヶ岳の戦いなどで活躍した武将、木村隼人正重茲公)の首塚の案内板を見ました。

偶然とはいえ、戦国時代末期を物語るようなお寺に遭遇出来たことは幸運の持ち主でしたね。

さて、山門を潜ると本堂があり、お盆用に盆提灯が寺院内に数多く吊るされていました。

左側を見ると直ぐに重成公の供養のための地蔵堂があり、道標の通りに墓地(拝観は可能)を50m程進めと同公の首塚(写真参照)がありましたので、私も戦国時代の武将の末裔として手厚く御参りさせて頂きました。

井伊家の家臣である安藤長三郎が重成公のお首(討ち取ったのは家老庵原氏の家臣で、庵原氏が17歳の若武者、長三郎に首を与えた)を藩主に渡した後、家康公の首実検(御首確認)後に長三郎が同寺に持ち帰り、安藤家の先祖の墓内に埋葬し、五輪の塔を建立し手厚くご供養したそうです。小牧長久手の戦いでも数万の兵が戦没し、長久手市内でも名のある武将の首塚が数多く存在しますね。(当方、長久手市に連接する瀬戸市に在住)

一回りすると本堂の右横に書院があり、寺務所受付で200円を納めれば、書院内と本堂内を見学することも出来るため、石田三成公の念持仏と家康公の御位牌を是非にも観たく見学することになりました。他には室町時代の屏風絵もありましたね。(写真参照)
庭園も管理が行き届いて綺麗でした。

彦根城又は、彦根市内の出向かれた時は、同お寺の立ち寄りをお勧めします。

歴史ポイント
彦根市を中心に、井伊家が城主として幕末まで近江国主として代々受け継いていましたが、井伊一族も元は遠江国井伊谷(浜名湖の北)の出身、本来であれば地元出身(近江国石田郷)の石田三成公(佐和山城)が本来の地場出身者ですね。
数年前にエキテンでも紹介しましたが、石田三成公が居城した佐和山(佐和山城址)は彦根駅の裏側に位置し、関ケ原の戦い後に家康公から井伊氏が与えられた城は、石田三成公が居城していた佐和山城でしたが、改築後に再度移設(藩庁を移設)して今の彦根城(金亀公園内)に移築したようです。

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赤門

4.00
投稿日
予算
¥300

JR彦根駅より湖国バス彦根駅市立病院線「本町キャッスルロード」もしくは湖国バス彦根県立大線「4番町スクエア」下車すぐです。

井伊家ゆかりの社寺めぐり第4番のお寺です。
浄土宗 引誓山天白院 宗安寺。

彦根藩で徳川家康を祀る朱塗りの「赤門」のお寺で、江戸時代の朝鮮通信使の宿館としても利用され、淀殿の念持仏を本尊とする。

石田三成の千本仏や彦根勝運大黒天を安置し、「彼岸白道の庭」も見所です。

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写真

概要

店舗名

宗安寺

ジャンル

電話番号

住所

アクセス

最寄駅
バス停
  • 池洲町北から120m (徒歩2分)

営業時間

営業時間/定休日
営業時間補足
9:00〜17:00

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