90代女性 T様 野田市
患者様から戦争のお話を教えていただき、患者様の義祖父が日露戦争中に食事をした時のスプーンを見せて下さいました。
ロシア産のスプーンだそうです。
歴史小説家の司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』は日露戦争のことが描かれておりますが、日本海海戦で日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を破りました。
日露戦争の時のお話が聞けるとは思いませんでしたので驚きました。
患者様が戦争をご経験されたのは小学生の時で、昔は米が足りないので米と麦を混ぜて量を増やして食べた『麦飯』のお話を教えていただきました。
麦飯のことを調べてみると、
日本人の古来よりの主食は米と考えられてきたが、実際の日常食は麦飯やかて飯、あるいはアワ、ヒエなど米以外の穀物のみを炊飯したものが普通だった。
白米だけの飯は、都市部以外では祝祭時のみ炊かれるものだった。
米の乏しい畑作地帯では、これにさらにヒエやアワなど雑穀を加えたり、雑穀と大麦のみで作るような麦飯も、かつては見られた。
米と麦の比率については、明治・大正時代までは、麦のみの麦飯もあったが、米2麦8の混合率から次第に米3麦7、そして半々の半麦飯となり、戦後には米7麦3へとその比率が逆転した。
今日では、貧困から麦を食べることはなく、健康食品、あるいは麦とろ、牛タン定食、水軍鍋など特に麦飯と相性のよい食味を持つ献立に添えて、好んで食べられるように変化した。
患者様に、
「麦飯はどんな味でしたか?今のように美味しかったですか?」
と聞いてみましたら、
「昔は食べる物が少なかったから、美味しいか美味しくないかという話ではないんだ」
とおっしゃられた患者様の言葉が、強く記憶に残っております。
自分の質問の仕方を反省しました。
戦時中は食べる物が少なく、炊き出しでさつまいもを貰いに行き、少量の米と混ぜて炊いて食べたお話。
おかずが梅干し一つの『日の丸弁当』を学校で食べたお話。
お友達のお弁当の麦飯を食べさせてもらった時、飲み込めなかったお話。
患者様がご経験されてきた昔の生活と今の生活を比較すると、1日3食の白いご飯を食べられる時代に生きていくことができ、恵まれていること、ありがたみを知ることができました。
