店舗・施設の情報編集で最大33ポイントGET
このマークはお店がエキテンの店舗会員向けサービスに登録している事を表しており、お店の基本情報は店舗関係者によって公開されています。
¥2,500(非課税)
和太鼓体験レッスン : お一人 1500円
※バチはこちらでお貸しいたします。
体験レッスンを経て自分にも続けられそうだと判断していただきましたら、次回来られたときから正式入会となります。
【正式入会】
大人 : 1回 2500円 (高校生より)
子供 : 1回 1500円 (中学生料金)
※入会金は不要です。
※お月謝制ではありませんので教室に来られたときだけ料金をお支払いください。
※教室の時間は13:00~16:45の3時間45分です。最後までおられてお稽古されても途中で帰られても自由です。
教室には動きやすい服装とシューズでお越しください。
※サンダルやヒール、スカートでのお越しはご遠慮ください。
入会は中学生からとさせていただきます。上の年齢制限はありません。
町田八丈太鼓教室はショッピングモールが建ち並ぶ、町田駅繁華街のど真ん中にあるファッションビル「レミィ町田」の7F・音楽室でお稽古しています。
小田急町田駅やJR町田駅より徒歩1〜2分とアクセスが抜群に良いため、都内や他県から来られている方も多くいらっしゃいます。
また、不定期ではありますが、木曽山崎コミュニティセンター1F・音楽室でもお稽古しています。
木曽山崎コミュニティセンターには無料駐車場がありますので、お車でお越しいただけます。
八丈太鼓は、古くから八丈島で叩かれている郷土芸能の太鼓です。
起源は江戸時代といわれています。
八丈太鼓の特徴は、太鼓を横向きにして台座の上に乗せ、太鼓の両面から2人で叩きます。
1人は下拍子(下打ち)といって、八丈太鼓の4つのリズムを正確に打ち、もう1人は上拍子(上打ち)といって、下拍子の打つリズムに乗せて、自分で手(フレーズ)を考えて太鼓を打ち鳴らします。
自分で手を考えて・・・と聞いて驚かれる方もいらっしゃると思いますが、打ち手が『自由奔放に太鼓を打ち鳴らす!』というのが八丈太鼓の最大の魅力であり、また、それが他の郷土芸能の太鼓とは大きく一線を画しているところです。
八丈太鼓を音楽に例えるならば、まさにジャズそのもの。
奏者の華麗なバチさばき、勇壮で力強い打ち込み、見事なフチ打ち、そして一気にスピードアップして最後はピタッと決まるフィニッシュ!
見ている人はただただ圧倒されて言葉を失い、そして誰もがその素晴らしい演奏に魅了されてしまいます。それが八丈太鼓です。
しかしながら、そんな八丈太鼓も昔は随分と様式が違ったようです。
昔は大勢の人が集まる盆踊りのときなどに、太鼓を松の木の枝に吊るして叩いていたようです。
太鼓の周りには大勢の女性や子供たちが集まり、先を争うようにして太鼓を両面から叩き、その拍子に合わせて唄が歌われました。
八丈島では、太鼓を叩きながら拍子に合わせて歌う唄を『つがる』といい、明治末期から大正時代にかけては『太鼓甚句』、そして現在では『太鼓節』と呼ばれています。
「太鼓叩いて 人様よせて わしも逢いたい 方があるよ」
太鼓甚句は今の太鼓節とほとんど変わりありませんが、つがるは今の太鼓節とは歌詞・節ともにかなり異なっていたようです。
八丈太鼓の「本ばたき」では、この太鼓節が演奏中によく歌われますが、その独特の歌詞と節も八丈太鼓の魅力の1つになっています。
一説によれば「刀を取り上げられて八丈島へ島流しにされた流人(武士)が、腰に差していた二本の太刀を二本のバチに置き換えて、鬱憤を晴らすために太鼓を打ち鳴らした」といわれています。
確かなことはわからないとしながらも、八丈島に関する多くの文献が、八丈太鼓を流人と結びつけて説明しています。
江戸幕府は、1606年(慶長11年)〜 1871年(明治4年)の265年間に、宇喜多秀家をはじめとして、1800余名の流人を八丈島へ島流しにしました。
流人は自分の持っている知識や技術を島民に教えて生活の糧としながらも、島のために尽力しました。
しかしながら「流人となった武士が鬱憤を晴らすために叩いたのが八丈太鼓の起源である」という説には、少々疑問があります。
なぜならば、いくら島流しになったとはいえ、本土ではお祭りなどの際に一般庶民が叩いていたような太鼓を、身分の高かった武士が自ら叩くことなどあり得たでしょうか?
いくら離島でのこととはいえ、武士が太鼓を叩き始めたとは到底考えられません。
それに、島民の生活でさえままならない貧しい島に流された流人たちは、まずは生きていくための食糧を確保しなければならず、とても太鼓を叩いている余裕などなかったはずです。
では、八丈太鼓の本当の始まりというのは、一体どのような経緯だったのでしょうか?
実は「八丈太鼓は島民の娯楽として誕生したのではないか?」という説が、最も真実に近いように思われます。
これといった娯楽もなかった貧しい島で、何かの折々に太鼓を叩き、唄を歌って、日頃の疲れを癒したのがはじまりではないでしょうか。
ある文献の中には、八丈太鼓を「女性の打つめずらしい太鼓」と紹介しているものがあります。
「太鼓はこの島の娯楽として皆で叩いて楽しんでいたが、特に女性に好まれ、女性が主に叩いていた」と説明されています。
事実、八丈島で昔から叩き継がれている太鼓は、尺の小さな太鼓を両面から優しく叩く、女性によく似合う太鼓です。
江戸時代、八丈島は幕府に絹織物を献納していたことから、島ではその織り手である女性が優遇されていました。
貧しい離島の女性が「太鼓を叩いて楽しむ」などということは、他の地方では決して許されなかったことでしょうが、八丈島の女性たちは「租税として幕府に納める絹織物を織る」という重要な役割を担っていましたので、大切にされていたのです。
八丈太鼓には『ゆうきち』『本ばたき』『しゃばたき』『祇園ばたき』という代表的な4つの下拍子(リズム)があります。
上拍子を打つ人は、この4パターンの下拍子に合わせて手(フレーズ)を考え、太鼓を打ち鳴らします。
ゆうきち (勇吉)
「ドンドコ ドンドコ」と3拍子で打ちます。
右利きの人 → ドン(右) ド(右) コ(左)
ゆうきちは八丈島の各地区によって呼び名が変わります。
三根地区 -- ゆうきち
樫立地区 -- ドンドラ
末吉地区 -- デンデコ
中之郷地区 -- トッピキ
ゆうきちは八丈太鼓の下拍子の中でも代表的な拍子 (リズム) です。
本ばたき (本調子)
「ツトツツ ツトツツ」と4拍子で打ちます。
右利きの人 → ツ(右・小) ト(左・大) ツ(右・中) ツ(左・極小)
しかし4拍子ではなく「ツトツ ツトツ」と最後の左手のツを打たずに間を空けて3拍子で打つのが一般的です。
本ばたきには『太鼓節』が歌われます。
しゃばたき (素ばたき)(さばたき)
「ドドドドドドドド・・・」と左右交互に2拍子の早いリズムで連打します。
音は強弱を付けずに一定に保ち左右対称に打ちます。
実際の演奏では『本ばたき→しゃばたき』へと移行して打たれます。
祇園ばたき (びっこばたき)
「ドッコ ドッコ」と頭にアクセントを付けて2拍子で打ちます。
右利きの人 → ドッ(右) コ(左)
ほとんど島でしか打たれないため、あまり一般的に知られていません。