朝、いつものようにテレビをつけると、耳を疑うようなニュースが飛び込んでくる。「何百人が犠牲になった」「病院が爆撃された」。そんな言葉が、まるで天気予報のように淡々と流される。
ふと、画面の向こう側の命が、ひどく軽く扱われているような気がしてならない。
命の重さは、誰が決める?
宗教のため? 自国の利益のため? 掲げる大義名分が何であれ、誰かの命を奪ってまで守らなきゃいけない「何か」なんて、この世に存在するのだろうか。
「自国ファースト」。響きは立派かもしれないけれど、その裏でどれだけの子供たちが未来を奪われているのか。政治家や指導者たちが私利私欲をぶつけ合うその足元で、ただ懸命に生きようとしているだけの無実の命が消えていく。
特に、子供の命。
未来そのものである子供たちが、大人の都合で犠牲になるなんて、これ以上の罪があるだろうか。僕には、どうしても理解できないし、認めることもできない。子供の命は、大人たちのどんな理屈よりも、遥かに重いものだ。
スポーツと政治、そして僕たち
最近では、スポーツという「分断を越えるための舞台」にまで政治を持ち込むトップがいるらしい。本来なら世界中が熱狂し、握手を交わすべき場所でさえ、権力の道具にされてしまう。
そして、そんな理不尽な力の前に、頭を下げて、ペコペコとしなければならない日本の現状。大人の事情とか、外交上のバランスとか、難しい言葉を並べ立てても、結局は「守るべきもの」がズレてしまっているんじゃないか。
僕たちが、バカな大人にならないために
ニュースを見て、胸が締め付けられるような怒りや悲しさを覚えるのは、まだ僕たちが人間としてまともだからかもしれない。
でも、この世の中の異常さに「仕方ない」と慣れてしまった時、僕たちもまた「バカな大人」の仲間入りをしてしまうんだろう。
せめて自分の店に足を運んでくれる人たちには、そんな殺伐とした空気を感じさせたくない。僕が大事にしている「対等な関係」や、笑顔で過ごせる時間。そんな小さな場所からでも、理不尽な力に屈しない強さを持っていたいと思う。
子供たちが大人になった時、「あの頃の大人は、まだマシだったな」と思えるような世界を残すために。まずは、目の前の命と、誠実に向き合い続けることから始めよう。