一生懸命七転び八起き
薬学部卒業後、普通の薬剤師にはなりたくないという思いで
アメリカに行きました。
実は英語が大嫌いだったのですが、
なんとかなると思いアメリカに行きました。
予想以上に苦労し、「あなたの英語はわからないわ」と
言われ、凹みました。
アメリカでは英語を勉強する中で文化を知り、
世界観が変わりました。(1つ目の転機)
日本の文化では当たり前なことも、
国が違うと当たり前でなくなることを肌で感じてきました。
日本に帰国後、薬剤師として働くには
2年間のブランクがあったので、
どこかで研修させてもらえたらとの思いで、
大学病院の研修生になりました。
先端医療をしている大学病院や市民病院、
日赤病院などで勤務もしましたし、
街角のドラッグストアでも勤務しました。
本当にいろいろないい先生にも恵まれ、よく勉強していきました。
日赤病院勤務時は、災害救護班にいて、
救急車の運転手もしていました。
その中で最大の転機(2つ目)が訪れました。
新潟中越地震の医療救援のため、
六日町小学校にテントを張り巡回診療していていました。
巡回診療している際にふと後ろを向いたら、
おばあちゃんがこちらにむけて手を合わせ拝んでいるのです。
なんとか被災者の力になれればという思いでいきましたが、
こちらが逆に力をいただきました。
この時に、患者さんに元気や安心を与えることができる
薬剤師の素晴らしさを感じました。
「薬を渡すだけではなく、患者さんに元気や安心を与える
薬剤師になろう」と心に決めた時でした。
実家の薬局を手伝うようになってからは、
地域との繋がりが大きくなりました。
自分自身や兄弟が通った保育園や小学校に
自分の娘たちが通っていたので、
保護者会やPTAの会長も務めさせていただきました。
今ではまちかど協議会の理事や民生委員をしつつ、
地域で役に立つ薬局、薬剤師になれるように
精進しているところです。
プライベートでは3人の娘たちに囲まれ楽しく過ごしています。
奥さんは沖縄宮古島出身なので
毎年里帰りするのを楽しみにしています。
中学時代から続けているバレーボールのおかげで、
現在でも地元のソフトバレーチームで汗を流したり、
ママさんバレーの練習に行ったりしております。