妙厳寺の創立された年代は明らかではありませんが、伝えられるところによると、大塚因幡守(佐々木家の家臣)の氏寺であったといわれています。
小字城屋敷は、因幡守の居城跡です。鎌倉時代以後、武士の多くは禅宗の僧に帰依したので、大塚氏の氏寺であったこの寺は、早くから禅宗であったにちがいありません。しかし、戦国以後、衰退して、江戸時代初めには小庵にすぎず、妙厳寺庵と称していました。
寛永元年(1624)三河足助町香積寺の僧、三栄が諸国巡錫の折、石塔寺に参拝の途中、この地を通過した。その時里人に宿を乞うたのが縁で、里人の要請で妙厳寺を再興し、曹洞禅の一刹となりました。
また彦根藩井伊家の遠隔領地関係で井伊家とのゆかりも多く、寺伝によると1670年以降幾度となく井伊家より寄進を受けています。その為彦根藩歴代藩主などの位牌が安置されており、妙厳寺の寺紋は彦根藩井伊家と同じ彦根橘を使用しています。