1948年、那須高原の開拓農家の三男として生を受けました。
幼くして父を亡くし、残された家族5人は、長い間貧乏のどん底生活を余儀なくされましたが、幸いにも私は特別奨学金を受けることができ工業高校に入学、無事に卒業することができました。
★人生経験
18歳で社会へ出た私は、水処理薬品の製造工場勤務から始まって、
土木建設関係、不動産関係、健康関係(自然食普及活動等)、飲食関係などさまざまな職業を経験。
その間、倒産や失業、巨額債務の連帯保証による借金苦なども経験しましたが、何よりも大きな体験は18歳から40年近くにわたって続いた、自分自身の体調不良でした。
便秘、下痢。頭痛・首・肩・背中の強い痛み、慢性の胃潰瘍、十二指腸潰瘍による腹部の激しい痛みと嘔吐。
特に何度も繰り返した腰背部の激痛は言葉では表現できないほど。
二本の杖にすがり、必死の思いでトイレへ向かったことも数知れません。
整形外科、鍼灸、指圧・マッサージ、カイロその他の施術や整体などの各種施術法を長年受け続けてきましたが、少し中断するとまた痛みが強くなる・・・の繰り返し。
それも年を重ねるごとに痛みの程度がより悪化していったのでした。
★各種健康法の勉強
21歳で結婚。
妻も生来の病弱体質であったことから、私はいろいろな健康法に関心を持つようになりました。
健康法や施術に関する書物を読み漁り、各地の健康指導者を訪ね歩いては教えを乞ううちに、「人の健康の大本は”体を作る材料である食べ物”と、”身体の組織をより良い状態で機能させる自律神経のバランスや心の在り方”なのだ」、「病気を改善したり心身の不調を改善させせいくのは、自分自身の自然に回復しようとする力なのだ」という思いを強くしていきました。
★バランス活性法との出会い
平成8年、剣持甲子朗先生(現赤ひげ塾塾長)と出会ったことが、その後の私の人生を大きく変えることとなりました。
東京での勉強会を続けるうちに、剣持先生の卓越した整体理論と、何よりもその確実な施術効果に感銘を受けました。
これまでの施術法とは全く違い「体が根本から改善している」ということを実感したのです。
平成9年、この施術法を全国に広めたい!との思いから「バランス活性療法・赤ひげ塾」の立ち上げに参画。
赤ひげ塾の名称は映画「赤ひげ」の原作である山本周五郎著「赤ひげ診療譚」にあやかって私が名づけました。
江戸時代に「医は仁術」の精神を貫いた主人公、「赤ひげ」の生きざまに共感したからです。
★現在
整体院こころ院長としてお客様の施術に当たるとともに、赤ひげ塾・那須道場代表として、研修会や錬成会を通して後進の育成に努めながら、「真の整体道]を目指す日々を送っています。
