ゴキソハチマングウ

御器所八幡宮

3.47
口コミ
3件
写真
34件
住所
愛知県名古屋市昭和区御器所4丁目4−24
アクセス

荒畑駅から徒歩7分(510m)

口コミ

宮司さんと親しく歴史談話が出来た、尾張佐久間一族に関係する由緒ある神社

5.00
投稿日

平成30年7月、業務と休憩時間の合間に同神社を訪れました。
同神社は、名古屋市内でも有名な鶴舞公園の南方の御器所に鎮座し、公共交通機関では鶴舞駅(JR中央西線、名古屋市営地下鉄)が便利です。
御器所という地名は古く、鎌倉時代から存続しており、「熱田神宮の祭礼に使う土器を作っていた地」から命名したようですね。

同神社は、創建は平安時代と推定され、熱田神宮の鬼門を鎮護するために創建されたようで、この地で活躍していた佐久間一族(後の歴史ポイントで記述)が居城していた御器所城址(西城址)が近隣にあり、御器所城の総鎮守(そうちんじゅ)として祀られていたようです。

同神社の専用駐車場は、正面の大鳥居から見て左手にあるようでしたが、神主さんの了解を得て、正面の大鳥居前に駐車させて頂きました。

さて、大鳥居前で軽く会釈をしながら鳥居を潜ると、左手前側から神楽殿、五社宮、稲荷社、佐久間社(佐久間一族の崇拝社殿)、十二社が続き、正面には拝殿と本殿が置かれ、右側の横には社務所がありました。
佐久間社は年中通して、全国に散在した佐久間一族のご子孫が定期的にお参りに来るようで、当日も一老夫婦がお参りに訪れていたようです。(神主さん談話)

境内を一通り拝観させて頂いた後、神主さんにご朱印を書いて頂き、その際に「同神社は佐久間氏一族が居城した御器所城の総鎮守としての所縁があるのですね。織田家重臣の佐久間信盛公(織田家の宿老(一番家老))所縁の地でもありますね。実は当家の先祖も・・・」と立ち話をしていたところ、神主さんもその話に驚いて頂き、「お時間があるのでしたら中にお入り下さい。」などと言われ、社務所内の座敷まで通され、30分程歴史会話を楽しませて頂きました。
そのお礼ではありませんが、神主さんのお人柄に敬意を表し、事務所と自宅の厄除けお札を分けて頂きました。
最後に神主さんから「時間がある時に是非、お越し下さい。織田家家臣の子孫の方との歴史会話は楽しみです・・・。」と言って頂きました。
また、神主さんは同神社創建からの代々の家系ではなく、尾張徳川家の家臣(500石の中級武士)で、明治時代に入り神主さんの曾祖父が宮司さんとなったのが切っ掛けで、現在の神主さんは、エキテンでも紹介させて頂いた豊国神社などの神主さんも歴任された立派な人でしたね。
歴史的にも貴重な由緒ある神社で、大変話し易い神主(宮司)さんですので、是非訪ねて頂き、時間があれば色々な話をお聞きすることも楽しいと思われます。

歴史ポイント
承久の乱で功績を得て、尾張国御器所の地を賜り、御器所に移り住んだ尾張佐久間一族発祥の地であり、佐久間一族には、織田家家臣である佐久間信盛公がおり、後に高野山へ追放となった時、信長公の命により当家先祖の中野又兵衛忠利公が高野山まで信盛公親子を導いたようです。また、賤ヶ岳の合戦では柴田勝家公に布陣した佐久間盛政公(佐久間一族)も秀吉公側の猛将である中川清秀功公を討ち取った人物である。
また、エキテンでも紹介させて頂いた近隣の名古屋市名東区に所在する寺院と神社は佐久間一族の親族筋である柴田一族(柴田勝家公など)の居城もありますね。
追記、秀吉公の生まれが尾張国中村郷(名古屋市中村区)となっていますが、当地の御器所と言う説もあり、秀吉公の母(後の大政所)が住んでいた地(屋敷跡)でもあるようです。

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ご祈祷もできる

4.00
投稿日

厄払いでいく神社を探してました。こちらでやっていただきました。わたしの他には誰もおらず、貸しきり状態でしたが、丁寧に厄払いのご祈祷をしてくださいました。緑、自然がたくさんの、雰囲気あるお宮さんでした。

0

地域に愛されています

5.00
投稿日

地元の氏神様として、地域の皆様に愛されています。
氏神様といっても小さな神社ではなく、境内には大小様々な分社が祭られていて、特に菅原道真公の祭られているところは、今や名古屋の受験の神様として有名になっており、受験シーズンには観光バスが来ています。
地元以外の人にもおすすめです。

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写真

概要

店舗名

ゴキソハチマングウ

御器所八幡宮

ジャンル

電話番号

住所

愛知県名古屋市昭和区御器所4丁目4−24

アクセス

最寄駅
バス停
  • 御器所四丁目から82m (徒歩2分)

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