東勝寺
- 住所
- 愛知県名古屋市名東区高針1-1212
- アクセス
一社駅から徒歩20分(1.6km)
口コミ
同寺は真宗大谷派の寺院で、山号は伝忠山と称します。
本堂は江戸時代中期に建立され、鐘楼は江戸時代末期に建立された古いものです。
閑静な住宅地に広大な境内と白壁が目立つ壮大なお寺でしたね。
同寺の歴史は歴史ポイント(後記述)を参考にして下さい。
さて、山門を潜ると奥に江戸時代中期に建てられた本堂がありましたが、残念ながら本堂の扉が閉まっていたため、本堂内を拝観することが出来なかったですね。
山門の右奥は、中二階の造りとなっている書院蔵と思われ、境内の草木は綺麗に手入れがなされていましたので、美観そのものでした。
残念ながら、同寺を再興した高針城主又は、加藤一族の菩提寺ということでしたが、墓石などは確認出来なかったですね。
追記、元フィギュアスケート選手である○○さんの実家が近いようで、幼少の頃は除夜の鐘を突きに訪れていたようです。(ご近所のご老人談話にて)
歴史ポイント
高針城の城主は加藤勘三郎公(以下、勘三郎公)にて、同お寺が加藤氏又は、一族の菩提寺とのことです。
高針城は石高2300石にて、加藤氏は近隣の柴田家(勝家公一族)と同様、尾張の豪族であったようで、信長公の嫡子である信忠公に組して(配下)いたようです。
信忠公も信長公同様、本能寺の変で没しましたが、勘三郎公も信忠公に付き添ったようで、その後の消息が途絶えたようです。(討ち死にしたのかは不明です。)
また、同寺を再興したのは高針城主の弟である加藤勘右衛門公が再興され、再興当時は「東照寺」でしたが、名古屋東照宮が創建され、尾張藩からの命により同寺名である「東勝寺」と改名されたようで、家康公を祀り弔う東照宮(大権現)の類似名称であったため改名したと私自身理解しています。
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