口コミ
他の患者さんの文章を見て気後れをした私w
自分の物語をどう書くべきかと悩んだ結果、私は私が感じたことをそのまま書くことにしました。
この院に辿り着いた人はきっと他の院の口コミも沢山ご覧になっていると思います。この院の口コミをみて「なが!濃い!」と思ったはずです。
この1人1人の口コミそのものが正に俊カイロを表現しています。
〇先生と患者の距離が近い
〇先生が患者一人一人を大切にしている
〇私たち患者は先生をリスペクトしている
〇信頼関係がとにかく太い
〇施術については言うまでもない
そうじゃなかったらこんな紹介文を書きません。「院長の力になれるなら書こう」と
思わせてくれる先生ですし、それ以上のことをいつもしてもらっていると感じるからの行動です。
千里丘にあるとても小さな院です。知らずに通り過ぎている人も沢山いると思います。院長は1人で受付をして施術をして、看板を注文して壁を補修して、最後は娘さんのお迎えにと大忙しです。なんだか自分だけ楽にしてもらって申し訳ないな、何か力になれないかな、私も含めて沢山のの患者さんがそう感じて院長を応援をしています。
私はリーフレット折りを少し手伝った程度ですけど。。。。
院長が「この院は沢山の人に支えてもらっていて、もう自分だけのものじゃなくなっている」とお話をしてくれた時がありました。沢山の人が自分の知識や経験を持ち寄って支えている院。
自分がそこに参加できているのが嬉しくなる院です。
たまに娘さんが遊びに来ていますが、パパが大好きなのがよく伝わります。患者さんにも大切にされている娘さんです。
この院は昔ながらの技術を大切に育てている院であり、昔ながらの人との繋がりをとても大切にしている院だと思います。
今時のサバサバした院ではありませんので、合わない人は合わないかもw
でも、万人向けの院よりも「こういう院を探していた!」という人達の為の灯台になって欲しいと思います。
- 返信日
ご紹介ありがとうございます。
当院のレビューは結構ハードルを高くしているので、こうして書いて頂けるだけでも有り難いです。
書く側からすると大変な作業だと思いますが「今、悩んでいる人」に向けては一番この形が望ましいと思うのです。
今、悩んでいる方は「ここで良くなるの?」という点を心配されていると思います。ですが、一番大切な事は「その院、その先生が自分を合うかどうか」です。
自分が望む様な院なのかどうか、その先に結果はついてきます。
今後も当院はこんなスタンスでのんびり進もうと思います(笑
ずっと悩んでいたふくらはぎの浮腫み、張り。
それが「いつの間にか」消えていました。
何かやっとわかった気がします。先生に取ってもらうのではなくて自分で取ってしまうという事。
先生が潔い顔でいつも言う言葉「専門家との関わり方を変えていく事が理想」という意味がわかった気がする。
症状を作っていたのは私、症状との向き合い方を決めていたのも私。だから慢性化していただけ。
そこから解放されようとするなら、その状況を変えてあげればいいだけ。それは決して「取ってもらう」事ではないという事。
そう、対処療法を望んでいたのも私。慢性化を招いていたのも私。
ああ、全部私が決めて行動していただけだ。
症状に対して他責感覚で向き合っていたんだ、私。「他人任せ」ってきっとそういう事。
何か私、ここで凄い大切な事を教えてもらった気がします。
「脳の欲求」と「身体の感覚」
この摩訶不思議な意味がわからないまま来ていましたが、その時はきた。
「あ」
ウルトラウォークに向けて50㎞程歩いた日の翌日です。
朝、気持ちよく目覚めて歩いてみたら。
身体は滅茶苦茶軽い、絶好調
足裏には所々「はっきりとした」違和感がある。
完全に疲労が抜けて軽い、歩きたいのに、足裏は確かに「何かヤバい」感じがする。
脳は行きたい。身体は赤?黄色信号を出している。
感情と身体の間に明らかな相違がある。
「あ」これか。これがそういうことか。
この軽さに任せて押し通すと、足の裏は大変なことになるのか。
体に寄せるとはそういうことか。
疲労は抜けた。サッパリ抜けた。でも身体の背負ってきた負担は確かにそこに残っている。
これを感じ取ることが大切だったんだ。
今なお摩訶不思議にさまよう皆さんへ
「あ」は本当に突然来るよー!沢山彷徨えばいいんだよ!
先生もそのほうが絶対にいいと言っている!
今週末の琵琶湖ウルトラウォークが楽しみだ!
ここ、マジ半端ねぇよ!
今まで「100を超える検査」「全身をしっかり検査」という言葉につられて割と高めな先生ばかりを頼ってきました。
でも施術時間が30分だったり、検査は最初の1回だけだったりと「ん?」と感じる事が多くて続かず。
最近は「言葉遊びがひどくない?」と冷めた感じになっていたところ、紹介されたのがこちら。
どうせ。あれやこれやと同じちゃうの。
斜に構えて行ったところ・・・・・
パネェ!!パネェ!マジ半端ねぇ!
ここはマジだ!検査の数がパねえ!しかもそれ毎回する!
しかも、身体が割と変わってるのがわかる!というか検査で気付くw
自分ではあんまり変わらない、それが検査ではしっかり変わっている。
自分感覚でいたらダメだと知ったのもここ。
ここはマジパネェ院だった!
でも、任せててどうにかなる場所じゃないぞ。自分が変わらないと何も変わらない。それが身体だ!!!と教えていただきました。
ありがとうございます。先生は私の偏見をすべて吹き飛ばした。ついていきます。
お師匠さんの施術を受けたことがあります。紛れもない「バケモノ(誉め言葉)」でした。
神経解剖を極めているんじゃないかと思うくらいの情報量で、技術がそこに引けを取らず伍している。
そのお弟子さんの施術を勉強仲間の奥様が受けたという話がきっかけです。
「奥さんが自分の施術に興味を無くした」という。お弟子さんの施術、人柄、会話に夢中だそうで。
「ええ?そこまでなる?」と皆で笑い話にしていたのですが、その奥様も知らない人ではないので「あの人がそこまで?」と気になる。
気にしてても始まらないので予約をする。
注):こちらはもう「同業価格」を設定されています。一般価格とは全く別ですので同業の先生は注意してください。
同業価格は一般の3倍ですが、情報量が5倍くらいになるそうです。確かに殆ど私の身体を使った研修に近い。情報が濁流の様に押し寄せてくる。そして展開が早いこと早いこと。
最近はナンチャッテ全身調整が増えたと感じますが、こちらはマジの全身調整でした。
まず検査の数の桁が2つ違う気がする。1つじゃない。カルテを見て驚いた。こんな検査をする先生は私の臨床人生で見たことがない。
その情報量もさることながら、今日初めて会った私の検査情報が一瞬で先生に飲み込まれて仮説が構築されていく。頭の回転が凄まじいのがわかる。
そして、こちらの先生は運動生理学に枝分かれをしているのかな?お師匠さんの神経解剖より物理学の応用が多々見られる。
私もそれなりに臨床経験はある。だから先生の仰る内容、施術の内容はそれなりに理解できる。形までは。内側に流れている「軸」が今の私のレベルでは到底見通せない。深すぎる。
この先生、本当に私の20下なのか?息子と同年代とはとても思えない。
柔整と鍼灸を取得している息子と比べてしまうが、格が違いすぎる。比べていいレベルではない。
施術を受け、説明を受け、さらには後日届いた「カルテ+ピラミッド」を見て愕然とする。
「バケモノの子は、やっぱりバケモノなんだな」
今の業界、商売っ気のある若い先生が増えたなーと感じていましたが、この年代でここまで磨き上げたものをお持ちの先生がいること。
この業界もまだまだ捨てたもんじゃないな、と勝手に嬉しくなりました。
血脈は確かに続いているんですね。
私は産後骨盤と姿勢改善で通っています。
ここで紹介したいのは私のことではなくて、息子のことです。
柔道をしている息子がこちらでお世話になりました。痛みを何とかしたいではなくて「体を上手に使える様になりたい」ということからです。
月1~2回なので変化は小さく「あれ?」という感じで起こっていました。
それが「あ」と確信に変わったのは半年後くらいです。
息子の「技の受け」が以前とは全く別物になっていることに改めて気づきました。最初、それが息子だと気付かなかったくらいです。「あの子、凄いドッシリしてるなー」と息子の相手の子を見ていたつもりが、まさかの息子。
割とグラグラ、力で振り回されていた息子だったのですが、相手の子が何とかしようと振り回しているのをドーンと受け止めている感じになりました。
息子曰く「力が強くなった実感はない、ただ相手の力が凄く弱く感じる様になった」そうです。
あと「今の状態だと力で押してもダメなのに、相手は無理やり押引きしてくる」とやたら冷静に物事を分析しているのにも驚き。
地面に根が生えたみたいになったと言っていました。こんなことは先輩も顧問の先生も、コーチも誰も教えてくれなかったと。
塾を辞めてでもこちらにずっと通いたいと直談判されましたw
いや、、私の財布も心配して欲しい。。。。
今で通って5回目くらい。
今、この時点で私が確信をもって伝える事が出来る事。それは「タイパ抜群」という事である。
ここで「情報」に触れる事、ここで「体験」する事、ここで「確認」してもらう事。
ここでは失敗すらもが「経験値」として蓄積されていく。それも「自分自身の中に」である。
ドンドン自分の身体が変化していく。それを実際に自分で感じる事ができていく。それを見守ってもらえる。
要は自分で自分を変えていく。寄り道したって道を外れない。キチンと傍で見ててくれる。
え?これって「失敗を気にせず爆走しても大丈夫」ってやつでしょ?失敗しても糧にしてもらえるんだから
めちゃくちゃ「タイパ」も「コスパ」も良くないですか?って私は感じたんだけど。
院というよりコーチだよ。トレーナーだよ。うん、その方がしっくりくるぞ。
形の違うパーソナルトレーナーだよ。
俊カイロを検討している皆さん。
迷ってる時間が勿体ない!覚悟があるなら早く決断した方がいい。それくらいに「あ」が来た時に衝撃を受ける。間違いなく。
私は本当に激しく後悔しました。「何でもっと早くに決断しなかった」と。迷っていた時間が本当に無駄だった。本当に無駄。本当に無駄だった!!!!!
それくらい世界が引っくり返りました。本当だよ、これ本当だから。
ここに来る前に「足の専門家」「歩く専門家」「歩行の講習会」に行き倒していたから余計に感じるのだと思う。ここは本当に「コロンブスの卵」です。
今までお世話になった著名な専門家の方達は仰る内容が「ほぼ共通」でした。私はそれを「正しい情報だから」だと信じていた。沢山の著名な専門家が同じことを言う。それすなわち「真理」であると。
今は180度違う感覚で受け止めてしまう自分がいます。「皆、同じソースを引用しているのかも」と。これをへそ曲がりと思いますか?天邪鬼と思いますか?
皆さん、、、、、確かめた事ある?絶対に無いはず。私もそうだったのだ。
俊カイロには「辿り着いた形」がある。それも先生の膨大な試行錯誤の中で辿り着いた「ぶっとい結論※現在進行形で変化しているから要注意!」が
この先生の強みは「一般論」で止まっていない。一般論を疑う事から始まる。頭の回転が異常に早いとは感じていたけど、思考の習慣の賜物だと思われる。
ジブリの著名なプロデューサーが言っていたあれだ「監督はシミュレーションの数が1人だけ桁違い」というあれと同じだと思う。歩行1つで思考のパターンが桁違いだ。
自分が如何に「固定観念」や「一般論」を妄信していたかを知る。そして、それは別名「思考停止」であることも知る。そしてそれが「原因」だったと知る。
なんだよもう、原因は完全に自分じゃん!
それに気付けた事はもうパラダイムシフトだった。
そう「気づけた」んだよ!だから世界が変わったんだ!
ここ最高だよ!マジ最高だよ皆!
こんな先生、見た事ないよ!先生、アンタ最高やで!
「あ」仲間です。
私は河川敷をひたすら歩いている時に来ました。
本当に「あ」です。
私の場合は「あれ?」でした
これかな、あれかな、と考えながら歩き続けていた時に気付いたんです
「あれ?今急に力が抜けなかった?」
普通に歩いているのに、足の力がスッと抜けた感覚。抜けたのに前には進んでいる感覚。
そこで気付く私
「あ」だ!これが「あ」なんだ!w
本当にその時は突然やってきます。
もっと「あ」仲間を増やしたい!この感覚を共有したいぞ!
紹介されてから2年。それが私の逡巡期間でした。
自費は高い。怖い。民間療法は怖い。
だから保険適用から入り、それでもダメならと国家資格を持った先生の整体に通い、整骨院の自費メニューに縋り。
手元に残ったのは診察券と領収書の束です。
何処でもダメならダメもとで行ってみるか。記念だ体験だ。
そんな感じで「残り物」感覚で行った大変失礼な私。※聞けば院長も同じ道のりだったと。
きっと私と同じ感想を持った人は多いと思う。
もっと
もっと早くに決断すべきだった。
今まで使ったコストをここに全振りしておけば良かった。
固定観念の強さと怖さを同時に知りました。
でも、それも人生勉強です。
整体院やっています。一応PTの資格持ちです。
勉強会の時にこちらの院の話が出てきまして、評価が完全に2分されていたのが面白いなと思っていました。
本当に両極端でした。
で、その後知り合いのクリニックがこちらと提携?していると聞いたので更に興味がわきました。
そして実際に受けてみようと予約を入れました。
ええ、わかりました。どうして評価が二分だったのか。本当に良くわかりました。
別に弟子入りをしたわけではありません。ちょっとどんなもんかと見に行った感じです。
初回でもう「わからせられた」感が満載です。
何が?受けてみなよ。そこで「向き合えるか」というお話な訳で。
そして「向き合うって誰と?」ってなると「いや、自分と」ってなる訳で。
2分した評価。それは「向き合った」か「見なかったことにしたか」の違いだと確信した。
わかる。良くわかる。自分を守る為に先生の至らない所を探したくなる。そうでもしないと自分を保てない。
何でもいいから自分を維持する為に理由を作る。でないと胸のざわつきが止められない。
自費の世界はここまでするの?求められるの?
なんて考えている時点だ多分アウトな気がします。
先生を見ていてわかる、仕事として取り組んでいない。ライフワークとして取り組んでいるはず。
仕事じゃないからこその掘り下げっぷり。
仕事と割り切っている人間に゙実現可能なレベルではない、それが真実な気がしている。
そして、今日も自問自答が始まる(笑
こんなの見てしまうと不安しかないよ!
そりゃ見なかった事にした方がどれだけ気が楽か。
でも見てしまった以上、見なかったことにはできないタイプです。自分。
先生の動画に「医学書の向こう側」という言葉がありますが、その意味がここに来たらわかると思う。
病院勤務時代は教科書の内側ばかりを掘り下げていたんだと痛感しました。でも。それは保険の世界で対応できるから間違っていない。
自費の世界は「その外側」で悩む人を助ける場所だ。そんな人達が辿り着く場所なのか。
完全に甘かった。激アマさんだ。自分の甘さを自覚できた。
頑張る。
ランナーです。ウォーカーです。
サブ3達成、ウルトラウォークは17時間台ベスト。それなりに積んできたつもりです。
でした!!T_T
自然なカラダの使い方、自然なカラダのあるべき姿。
「自分なりの正解」を貫いてきて、それなりに自負もあって。
それが全てここで崩れ去っていく(泣
数値で守られてきた自分自身が丸裸にされていく(号泣
その辛さに耐えられるか?それでも知りたいか?
自己満足を貫くのも1つの正解だと思う。でも、自分は嫌だった。
人生は一度キリ、自分は知りたい。自分のカラダは何処まで行けるのか。
自分のカラダ本来のパフォーマンスとはどういうものか。
目から鱗というより身体から鱗が剥がれ落ちていく場所だと思う。
乱文失礼。その衝撃をなるべく生で伝えたく。
思い付きで書くのではなく、予め用意した文章を見直した上で掲載する。
何せ初めての感覚なので文章が乱れる乱れる。酷いものだった。なので何度か推敲した上での形にした。
以下、本文。ある日の私の心の内である。
マジで。
マジで突然来た
ラブストーリーは突然に
「あ」
で世界が変わる
私の場合はシート
電車のシート
それが私の世界を変えた。いきなり。
あれだけ愛してやまなかった電車のシート、背もたれソファー。
ある意味、初めて座った時に私の世界を変えてくれたものが、もう一度世界を変えた。
あれだけ天国だったシート。それが座ると辛い。しんどい。どうして?
力が抜けて身体が重たくなる
身体から力が抜けてしまう。こんな感覚初めてだ。
気付けば反る動きに落ち着く自分
今の今まで
自分はこれを「楽」だと感じていたのか
世界が変わるとはこういう事か
ただ、成長もある
「だから椅子が悪い」ではないと思える自分がいた。
「役割が違うだけ」
自分の思惑とモノの役割がずれているだけ。モノは何も悪くない。
先生の言葉の意味がここにきて現実味を帯び始めた
皆、この先生本質の塊やで!
最初はちんぷんかんぷんかもやけど笑
整形の先生からの紹介です。
膝と股関節が悪いので病院のリハビリにはかれこれ2年?くらい通っています。
一進一退の症状でしたが、もっと元気になりたい!と先生に伝えたらこちらを紹介されました。
整骨院には通っていたので似たようなものかなと思ったら全然違いました。
まず先生とここまで会話をしたのは初めての経験です。質問も沢山しましたし、逆に沢山の質問もされました。
ただ、形式ばったものじゃなくて自然な会話です。その会話の中で先生がどんどん引っ張り出す感じです。先生がカウンセラーをしたら凄いと思う。
私としては普通に話しているだけなのに、課題点が抜き出されていく。自分が知らないだけで一杯の課題を抱えていたんだなぁとシミジミ。
その課題を1つ1つ取り除いていく作業です。
今すぐできないモノは塩漬けに。今できるものから始めていく。
そんな繰り返しの中で、あらびっくり。本当に身体が変わっていく。感覚が変わっていく。
私は毎年2回は恒例だった「ぎっくり腰」がピタリと止まった。腰のグラグラ感も殆ど出なくなった。
別に腰をパキッとしたわけでもない。首をパキッとしたわけでもない。
ただ、先生と話して施術を受けて、宿題をこなしただけ。
でも、確かに変わった。からだって本当に不思議!
俊カイロ歴、長いです。
この先生は違う。そう直感して通いだしてから気づけばもう半年?いや10か月くらいか。
体の調子は良くなった、軽い。それは間違いない。ただその先の「歩く」とか「2軸」とかが私には復活の呪文というか古代文書のような感じでとにかく難解。
何となくわかる、例えもわかりやすい。ただ実践するとなると全くわからない。感覚が掴めない。
私はどれだけどんくさいんだ、と若干自己嫌悪と諦めが入りつつ、それでも知りたい、なりたいと思いながら散歩をしてた時。
「あ」
何がきっかけかはわからない。本当に突然、まさに「降りてきた」感じ。
今までの古代文字が急にスラスラ読めだした様な、腑に落ちたというか。
「そういうことか、こういうことだったのか」
この瞬間を境にして私の歩行は本当に180度変わりました。凄い。凄いよ先生。
先生がずっと言っていた風景ってこれだったんですね。確かに全然違う。別物だ。
今までの宿題が「歩く」に繋がっている事が理解できた、というか感じ取れる。
この時にあの宿題か、そして次はあれか、そうか全部繋がっていたのか。
これを1つ1つ先生は分解して伝えて、教えてくれたのか。どんだけ優しい先生なんだとw
そしてもう1つ。
キチンと宿題を頑張ってきたご褒美はちゃんとあると確信した!
今頑張っている人、今から頑張ろうという人、ここの院で取り組む事には何一つ無駄なことはないよ。逆に1つでも欠けたらもう繋がらない。
ここまで丁寧に教えてくれる先生は過去20年間で見たことがない。今なら断言できる。
卒業?とんでもない。
私は「この先」に進みたい。見てみたいし感じたいのだ。
「歩行」だけでここまで世界が変わったのだから。
今まで色々な院でお世話になって、良くなっては戻っての繰り返しでした。
何か根本的に間違えてるのか?と思ってこちらに来ました。私は紹介者無しです。
1回目でカラダを細かく見てもらって「凄い細かい」と驚いたらそれが毎回だったので更に驚くw 「何だここ?」
何が悪いか、何が起こっているのか。どうすればいいのか。
それを先生は教えてくれます。ここからが面白かった。
「次までにやってきてください」
あ、やってくる前提ね。これは今までと違う。「やったら良いですよ」ではない。
確かにやれば変わるカルテ。
そしてやらないと変化が無いカルテ
おお何とわかりやすい事よ。これがカラダか。
やった分だけご褒美がある。先生は間違いこそ経験値と仰る。
カラダの調子はすこぶる良いです。というか痛みとか疲れとか気にならなくなってしまった。価値観に変化が生まれた様です
自分がやるか、やらないか。
健康はただそれだけだったのか。ならば教科書に載せといて欲しかった(笑
それに気付けたのは大きい。もっと早く知りたかったけど今更それはいい。
知れただけでもめっけもんとしよう。
色んな病院に通って、色んな整骨院に通って、色んな整体にも通って。
脳波もやった腸活もやった。
10年以上頑張ったけど、全然良くならなかった。
それがここで良くなった。たった1年で。
変化は3カ月で起こった。半年で確信に変わった。1年で自信が持てた。
先生が凄い?それもあるけれど
先生は教えてくれた。「全部、自分が作ったもの」だという事を。
自分が変われば自分は変わる。
答えはずっとシンプルだった。
カイロという名称よりパーソナルトレーナーの方がしっくりくる。
知識は過去にお世話になったトレーナーの中では別格。技術は溶け込んでいる熟練系。
何より、先生自身の考え方が私は共感できた。3人のお師匠さんがいるそうですが、どの方も素晴らしい方だったと推察できる。
師の教えがきちんと根付き、自分の色もキチンと出している。
この方程式は私達を裏切らない。
価格は内容を踏まえると格安。
これで高いと感じる場合、それはもう方向性の違いだから他をあたった方が互いにとって良い。
ここは健康を極める場所、身体の正しい使い方を学ぶ場所。
そう、学ぶ場所なのだ!
健康でありたいので身体の使い方を学びに来ています。仕事は左官業です。
いつか壊す、壊したら終わり、そうわかっているものの、どうしても身体のケアまでは意識が行き届かず。
気付けば色んな場所に痛みやら何やらを抱えている身体になっていました。
このままではイカン。でも自分では無理。もう任せてしまおう。
そんな感じでの予約です。
いや、正直に話すと奥さんが看護師さんなんですが、半ば無理やりに行かされたのも半分あります。お医者さんとかも苦手なんです。
自分のカルテ、もう酷かったです。C-ってあんまりいないんじゃないですかね。バツが半分以上でした。
今、1つずつ身体を作っていますが学ぶことが多いです。同じ職人の匂いが先生からします。
私は身体の事は先生に任せています。私は素人だから。でも私だからわかる事もあります。
先生は仕事に嘘がつけない人です。職人です。
先生の指示通りに取り組んで感じていること。それは「身体に無駄は1つもない」ということ。
自分の仕事でもそうです。美しい仕事には無駄がない。無駄を省いたものはとても構造がシンプルで機能美を持ちます。
人の体はとても複雑だと思いますが、それでも無駄なく美しく感じる。
自分の仕事と自分の体を重ねる事なんてあるんですね。自分でもびっくりです。
そういう意識の変化まで先生は起こしてくれました。
「ここでよかった」
それが正直な一言です。
春のエクストリームウォーク100に向けて取り組んでいます。
今、やっと下半身が終わったところです。これから上半身に入ります。
私がこちらの先生を見てびっくりしたのは「階段の下り」でした。膝に負担が一番かかるその動作で、深夜にスルスル降りていく人が先生でした。
膝が痛くて1歩1歩慎重に歩く私達と滑らかに滑り降りていく先生。
どうしてもそのイメージが焼き付いてしまって今ここにいます。
今までの常識がというか、自分の固定観念が崩れていく様な感覚です。
前まではレースウオークが歩行の頂点だと思っていました。でも今はヘルスウォークという別の道があることを知っています。
私はそっちの道で100㎞と向き合いたい。
真面目に書くと、自分の恥を晒すだけな気がして躊躇してしまうのですが、同志が「禊」としてそれを23年度にしてしまっていました。
完全に出遅れた。。。とグサッとなったので続きます。
理学療法士です。整体院をしています。意識の高い場と仲間に恵まれて自分が割と高い場所にたどり着けていると思っていました。
思っていました。
元々はこちらの先生のお師匠さんの話をよく聞いていて、いつか受けてみたいと思っていたのですが、紹介制となっている様でその機会に恵まれず。先にこちらにお世話になれる機会を得ました。
同じです。自分は国家資格持ち、対してこちらは民間資格。
上からお手並み拝見位の感覚で受けに来ました。どの程度のものかなと。
自分は最初の筋力検査で撃沈しました。「ああ、あれね」と高を括って受けたものの。。。
私は教科書の範囲内。先生は教科書の遥か先。
ステージが違う。検査の説明を聞いて一層感じる「自分の狭さ」の程。そして感じるあのねばっこい感覚。
「自分は今まで、何をしてきたのか」
「自分は今、何をしているというのか」
彼我の差を嫌でも思い知るから辛くなるんですよね。
こんな人が民間資格にはいるのか。何だよこの魔境は!みたいな感じ。
自分が踏み込んだ世界のディープさを思い知らせてくれる先生でした。
ちょっとこの業界を舐めていたぞ、俺。みたいな。
幽遊〇書が好きな自分としての実感。人間界(保険適用の世界)ではB級でテッペンを容易く取れるけれど。魔界(自費の世界)にはA級、S級がゴロゴロいた。
自分は意気揚々と魔界に降り立った戸愚呂弟である。割と上位でしょ、と思っていたらいきなりS級と出会って「・・・・マジかよ(泣」と涙目になった。