治水神社

3.26
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住所
岐阜県海津市海津町油島
アクセス

多度駅から2.8km

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薩摩藩士による宝暦治水

5.00
投稿日

岐阜県海津市にある、木曽三川公園の直ぐ近くにある神社です。
木曽三川公園で、春の美しいチューリップ畑を楽しんだあと、公園施設内の
見学中に『薩摩藩士の治水工事』についての展示・資料を見て、江戸時代の
薩摩藩士による偉業を知り、治水神社へお参りせずにはいられなくなりました。

江戸時代、幕府の命を受け、はるばる鹿児島から岐阜までやって来て、
非常に酷い悪条件の下、1年以上かけて命がけで治水工事に臨んだのです。
内情を知れば知る程、心がざわざわしてたまりませんでした。

岐阜県海津市の旧海津町・平田町域は、ほぼ全域が海抜ゼロメートル地帯であり、
輪中地帯として有名です。輪中とは、集落や耕地を洪水等の水害から守るため、
その地域全体を取り囲むように堤防で囲んだ地域のことです。
この地域を流れる『木曽三川』と呼ばれる、揖斐川・長良川・木曽川の全てが
集中合流する地形となっており、ただでさえ、洪水が多発する地域だったのです。

豊臣秀吉、更には徳川家康により、木曽川左岸に全長約50kmの堤防が築かれました。
これが『御囲堤(おかこいづつみ)』です。御囲堤は、西国勢力の侵入を防ぐという
軍事上の目的と、『尾張の国』を洪水から守るという目的がありました。
聞くところによると『美濃の国』で堤防を築くには、対岸の御囲堤よりも3尺(約1M)
低くしなければならないという制限があったという説があり、その為に美濃の国では
水害がしきりに起こったと言われているそうです。

昭和の時代になってから、薩摩藩総指揮の家老・平田靱負を祭神として、
治水神社が祀られました。薩摩藩士の慰霊と治水の偉業を称える宝暦治水碑もあります。
こういう理由から、至る所に『〇に十字』の薩摩藩の印(島津家の家紋)が見られます。

揖斐川と長良川の合流部に、全長約1kmにわたり、この2つの川を区切るように
築かれた背割堤である『千本松原』もあります。九州から取り寄せた松が植えられた
松並木がこの地域を守り続けています。近年、虫害により、松の本数が千本を
下回ったとのことで、鹿児島県民より支援を受け、植樹が行われたそうです。
江戸時代から現在に至るまで交流が続いているのを知り、胸が熱くなりました。
過日、鹿児島県の知覧特攻平和会館に岐阜県から寄贈された木を見ました。
こういう古くからの『縁』、厚い信頼関係を知ることが出来てなんとも言えない
気持ちになりました。

この治水工事についてのテレビ番組の特集を見ましたが、現代では考えられない
過酷なものでした。まだまだ知らないだけで、本当に様々な歴史の上に現代があり
成り立っているのですね。私がよくこの神社を訪ねていた頃は、大河ドラマで
この宝暦治水を扱ってもらえるようにという運動がありました。
応援していましたが、どうなったのかな?ちょっと気になります。
余談ですが、海津市に平田と名の付く場所がちらほらありますが、
薩摩藩家老平田靱負にちなんで付けられているそうですよ。
もうひとつ余談ですが、本当に偶然とは思えない出会いがあり、そこから繋がり
平田靱負の子孫の方々にお会いし、家族ならではのエピソードをお聞きしたり、
お墓参りもさせていただきました。平田靱負の名前入りのお酒も売られており、
お土産にお持ちしたらご存じなかったようで、喜んでいただけて良かったです。

過日、鹿児島旅行の際に鹿児島市の城山公園にある『薩摩義士碑』にお参りしたら
揖斐川・木曽川・長良川とそれぞれ彫られた小さな石が3つありました。
それぞれの川から取って来たのでしょうかね?
岐阜県と鹿児島県という遠く離れた地域同士の交流をまた感慨深く感じました。

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写真

概要

店舗名

治水神社

ジャンル

電話番号

住所

アクセス

最寄駅
バス停
  • 木曽三川公園から280m (徒歩4分)
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最終更新日

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