■天澤院の3つの特長
◇永禄年間の創建された名刹
天澤院は永禄年間に創建された臨済宗妙心寺派の名刹です。かつては全国の雲水(修行僧)が集まる道場として知られており、地方精神文化の発祥地として宗風を大いに振るいました。
◇臨済宗の儀礼に則ったご葬儀
ご遺族様のお気持ちに寄り添ったご葬儀を執り行うことができるよう心掛けております。
岐阜市近隣の葬祭場やホールでのご葬儀に出向も行っておりますので、ご要望の方はお気軽にご相談ください。
◇歴史深い岐阜の寺町
天澤院のある寺町の裏手には金華山があり、その山頂には岐阜城がそびえ立ちます。
岐阜城はかつては稲葉山城と称し、〝美濃のマムシ〟として有名な斎藤道三が居城としており、岐阜城と改めた織田信長が天下統一を目指した際の拠点としても知られています。
■天澤院の由緒
天澤院は悟渓国師(瑞龍寺開山)が生前の禅学布教のために大徹堂(現在の禅堂)を創立したのがはじまりとされています。永禄年間にいたり、別庵を建立して瑞微庵と号し、法孫である天瑞和尚によって開基されました。 文化2年、名僧隠山和尚によって庵号を天澤庵と改め、雲水が修行する僧堂である叢林を開くと、天下の雲水が集まる道場となって、地方精神文化の発祥地として宗風を大いに振るいました。
明治24年、濃尾大震災のために諸堂が倒壊、翌年の4月に僧堂を瑞龍寺の境内に移転しましたが、大正12年の仙室和尚の代に本堂・庫裡が再建されたことで本来の姿に戻りました。そして昭和10年2月、寺号を天澤院と改称しました。昭和20年には岐阜市大空襲の戦災によって諸堂宇がことごとく焼失してしまいましたが、檀信徒たちのお力によって本堂・庫裡を再建することができました。
その後、五十有余年を経た平成10年12月、22ヵ月に渡る工事を終え、本堂を改築。現在は雪庭和尚を経て、正浩和尚が法務を取り行っております。
■歴史深い岐阜の寺町
天澤院のある寺町の裏手には金華山があります。その山頂に位置し、岩山の上にそびえる岐阜城は、難攻不落の城としても知られており、「美濃を制すものは天下を制す」と言われるほどでした。かつては稲葉山城と呼ばれ、〝美濃のマムシ〟として有名な斎藤道三が城主であったこともありました。しかし、天下統一を目指す織田信長がこの城を攻略し、城主となると、その名を岐阜城と改められたといわれています。
また、この地に関わりが深く、墓所もある隠山惟琰は、卓洲胡僊と並び、現在の臨済禅の二つの法系のうち隠山系の祖となっています。
■アクセス
名鉄各務原線「田神駅」から徒歩12