シテンノウジレイエン

四天王寺・霊園

3.47
口コミ
2件
写真
62件

口コミ

聖徳太子が建立したと伝えられている、信長公のご母堂様が眠る寺院

5.00
投稿日

同寺院は、三重県庁前の官庁街にある曹洞宗(中興年は元和年間)のお寺で、聖徳太子が推古天皇から命じられた建立した大変由緒があり、趣きのある大変古いお寺です。
同お寺からは、曹洞宗大本山の永平寺(私自身3回拝観済)及び、大本山の総持寺の貫主を務められた高僧も居られたようです。
また、現在のご住職は全日本仏教青年会理事長だそうです。

さて、津市指定の有形文化財である山門を潜ると、広大な境内に所狭しと文化財級の石碑又は、建造物があり、山門を真っ直ぐに通り抜けると、戦後再建された本堂がありました。

本堂にお参りを済ませ、本堂右横の庫裡(寺務所)を伺うと、「ご朱印」受付があったので、ご朱印を副住職にお願いし、その際に「織田家家臣の末裔です。家臣の末裔として、信長公ご母堂様である土田御前のお墓にお参りをしたいのですが」と申し出たところ、お庫裡さんが態々墓所まで案内して頂き、家臣の末裔として謹んで弔いをさせて頂きました。
墓石の両脇にはお付きの方々の墓石もあり、土田御前様のお向かいには長年警護されていた武士の墓石(五輪の塔)もありました。
歴史の簡単な説明は、後記述の歴史ポイントをご覧下さい。

本堂内は、当日他家の法要があり、満足に本堂内を巡り散策は出来ず、文化財である聖徳太子像、藤堂高虎公夫人像なども拝見することが出来なかったのが残念でしたね。
次回訪れた際は拝見と共に、ご住職とお話がしたいと思います。

聖徳太子公が建立したと伝えられる歴史ある同寺院に訪れて、歴史を肌で感じて下さい。
拝観を是非お勧めします。

歴史ポイント
聖徳太子の建立に始まり、室町時代末期には津城にお国入りした藤堂高虎公が戦火で焼けた本堂などを改築し、藤堂家が寺領を安堵、寄贈して曹洞宗として再興されたようですね。
また、織田信長公及び、信長公の弟である安濃城主(津城)の織田信包公(藤堂高虎公が入城する前)の実母である土田御前の墓と御傍用人の墓が本堂から少し離れた山手側にありました。
本能寺の変後は、信長公の息子である信雄公が土田御前のお世話をしていたようですが、秀吉公との諍いで領地を追われて以降は、信包公が安濃津(現在の津市)で母である土田御前の面倒を見たようです。
また、土田御前様と言えば、織田信秀公(信長公の父)の跡目として信長公が独り立ちした若い頃に、信長公の弟君である信行公を土田御前が溺愛したばかりに、宿老である柴田勝家を担ぎ出し、信行公を主君にしたいがために信行公を操り、信長公に謀反を仕向けたという伝え(説)もあります。諸行無常です。
その真実は如何なものか不明です。
他にも伊勢国の武将、地頭の墓があるようで、著名人の墓石が多数あるようです。

31

大黒天霊場

4.50
投稿日
予算
¥300

三重交通バス停 塔世橋徒歩3分。駐車場あり。
「伊勢の津七福神」のうちの五穀豊穣の大黒天がある第7番目の大黒天霊場。
聖徳太子が全国に建立した4つの四天王寺のうちの一つ。
1000年以上もの間、伊勢街道を行く旅人の安全を見守ってきたこのお寺には、織田信長・信包(安濃津城主)やお市の母であり、お江の祖母である土田御前のお墓があります。
三面大黒天は織田信長公の祈願のものだそうです。
境内には大晦日から元旦にかけ除夜の鐘、初詣客の為に足下を照らす竹で作られたキャンドルが置かれていました。
御朱印を頂く間にお菓子とお茶のお接待を受け、ありがとうございました。

34

写真

概要

店舗名

シテンノウジレイエン

四天王寺・霊園

ジャンル

電話番号

住所

三重県津市栄町1丁目892

アクセス

最寄駅
バス停
  • 塔世橋から160m (徒歩3分)

駐車場

駐車場あり (無料)
駐車場補足
公開日
最終更新日

店舗・施設の情報編集で最大75ポイントGET