縁起書によれば、当宮の創始は平城京・奈良時代の神亀五年(西暦728年)に、聖武天皇の勅願により行基菩薩が当地へ赴いて石祠を祀ったのが始まりと伝わる。
もとは九州総守護の神々をお祀りする「四面宮」という神仏習合の神社であった。
古来より諫早の氏神様として、歴代領主の祈願所と定められ、西郷家や龍造寺家・諫早家から篤く信仰されてきた。
明治時代の神仏判然令により、並祀していた荘厳寺は分離されることとなり本尊などは近くの寺院に移設。その際に、社名を四面宮から「諫早神社」と改称した。
地元の人々からは、「おしめんさん(お四面さん)」の愛称で親しまれ、当地方の中心社寺として崇敬を受けている。