ミワサン ビョウドウジ

三輪山 平等寺

3.27
口コミ
3件
写真
7件
住所
奈良県桜井市三輪38
アクセス

三輪駅から徒歩7分(520m)

●JR三輪駅より東へ徒歩10分(三輪小学校北側坂上がる)
●JR&近鉄桜井駅より徒歩30分

平等寺東堂 丸子孝法
住職 丸子孝仁

三輪山平等寺は、その開基を聖徳太子と伝え、永遠の平和を祈願する霊場として創建されました。鎌倉時代の初期、中興の祖、慶円上人(三輪上人1140〜1223)を迎えるに及び、東西500m、南北330mの境内に、本堂、護摩堂、御影堂、一切経堂、開山堂、赤門、鐘楼堂のほか、12坊舎の大伽藍を有し三輪社奥の院として、由緒ある名刹でありました。
 平等寺は三輪別所とも呼ばれ、高徳の上人を中心に、仏法の奥義をきわめんとする行学一如の根本道場として栄えました。東大寺の宗性は嘉禎元年(1235年)8月20日に平等寺において法華、唯識、般若三観抄を写し、幾度も当山を訪れたことや、建長2年(1250年)正月、西大寺の叡尊も三輪別所一乗上人の禅室に参詣した史実も明らかで、鎌倉時代の平等寺には、仏法、学問の奥義を求めて多くの人々が参詣しました。
 室町、江戸時代には醍醐寺三宝院、南部興福寺とも深く関係し、80石の朱印地を持ち修験道の霊地でもありました。また、慶長5年(1600年)9月15日関ヶ原の合戦で敗れた薩摩の領主、島津義弘主従がこの寺に逃げ込み11月28日まで70日間滞在し無事帰国されました。しかし残念なことに、明治維新になって、政府の廃仏毀釈(仏を廃し神を敬する)の令きびしく、大三輪神社の神宮寺であった平等寺は、ことさらにそのあらしを強く受け、有名な金屋の石仏をはじめ61体にのぼる仏像が他所に運び出され、堂塔ことごとく整理を迫られましたが、幸いにその直後小西氏より現境内地の寄進を受け再興の道が開かれ、覚信和尚や町内有志の方々の努力により塔頭の一部を境内に移し、本尊秘仏十一面観世音菩薩、三輪不動尊、慶円上人像、仏足石等が守られ、梁天和尚が翠松庵の寺号を移し禅曹洞宗に改宗し法燈を護持しました。聖徳太子はじめ歴住諸大和尚の慈恩に報いるべく平等寺の再興のために微力ながら勧進托鉢行を続けてきましたが、廃仏毀釈より100年目を迎えた昭和52年6月4日付で平等寺と寺号が復興され、幾十万の人々よりご喜捨を賜わり、ありがたくも本堂、鐘楼堂、鎮守堂、翠松閣、釈迦堂(二重塔)の復興をはじめ前立本尊十一面観世音菩薩のご造立をみることができましたのは、すべて神仏のご加護と皆々様の真心からなる奉賛のたまものと深く感謝いたしております。
 ご参詣の皆様、ご奉賛の皆様方にお釈迦さまの慈悲の光明が無限に照り輝きますように、心からお祈り申し上げます。

丸子孝法 合掌

口コミ

聖徳太子にゆかりのあるお寺

4.00
投稿日

奈良の大神神社の近くにあります。観光客は大神神社の方に流れますので、この平等寺は空いていることが多く静かな良いお寺です。聖徳太子にゆかりのあるお寺で御本尊様は十一面観音です。優美なつくりの二重の塔などもあります。

0

珍しい二重塔

4.00
投稿日
利用日

二重塔が建っていました。
三重塔や五重塔はよく目にしますが、二重とは珍しいです。周りには十六羅漢が座し、すごく印象に残りました。

聖徳太子が創建したお寺のようです。
山の辺の道の途上にあり、予定していなかったのですが良い参拝となりました。門前の坂道がかなりの傾斜で、かなり高台にあることが分かります。昔はもっと寺域が広かったと言います。おそらく三輪山と共にあったお寺さんなのでしょう。

0

初もうでの行き道にあるお寺

3.50
投稿日

2012年1月1日
の初もうではいつも三輪山に行きます^−^
三輪神社への山道沿いにある平等時と言うお寺です。

初もうでというと人でいっぱいなので〜裏道を知っている人はこのお寺を通って、三輪神社に行きますw

このお寺では、大きな鐘があり〜自由につけるので〜家族全員〜1人づつ、鐘をつきました♪

小さなお寺なのですが〜とても立派で、五重塔みたいな(5重ではなく2か3重ですが)そのような建物もあります★

4

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概要

店舗名

ミワサン ビョウドウジ

三輪山 平等寺

ジャンル

電話番号

住所

アクセス

最寄駅
バス停
  • 三輪明神大神神社二の鳥居から440m (徒歩6分)

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