患者様のお声と身体から伝わる声に耳を傾け、丁寧で確かな施術を心がけております!
京都府京都市出身。
同志社大学経済学部卒。
大学卒業後、大阪の電気部品メーカーに就職。2年目には緑内障を発症し、入院手術を繰り返す。3年間勤めるが、視覚障害を理由に会社を退職。実のところ、極度のパソコン音痴だったこともあり、同期のうち自分一人だけ昇給できなかったことも理由のひとつ。
退職金を握りしめ、カーニバルの国ブラジルへ海外逃亡生活を決意。
多民族国家、人種の坩堝といわれるだけあって、ブラジル人は見た目も価値観も人それぞれ。発想も自由そのもので独自のカルチャー・音楽を生み出していて、半年間のブラジル滞在で、どっぷりとその魅力に浸ってしまう。
そうしてこの国で多種多様な価値観に触れていくうち、”自分も自由に生きていいんだ!”と気づかされるのであった。
さて帰国後は、自分にはどんな仕事が 向いているのかを考える毎日・・・。
・目が悪くてもできる。
・設備が無くても両手さえあればできる 。
・世界中どこででもできる。
という理由で手技療法家になることを決意!
そしてすぐに東京の整体学校へ入学、整体師の資格を習得し、都内の整形外科にて働き始める。
その後はキネシオテーピング指導員の資格を取得し、整骨院等で働いた後、活動の枠を世界に広げたいと考え、1年間の世界一周旅に出発する。
最初に訪れたインドでは、お人よしな性格が災いし、騙されまくって散財させられるも、整体師として施術で食いつなぎ何とか旅を続行。まさに“手に職”を実感。さらにたどり着いたスペインのマドリッドでは、路上で首絞め強盗に襲われ一文無しに。泣く泣く転がり込んだ日本人宿で運良く「日西指圧学院」を紹介してもらう。そこで当時ヨーロッパで流行っていた日本発のキネシオテーピングと自分の施術の技術を売り込み、学長を口説き落として1ヶ月間住み込みで雇ってもらう。
マドリッドを離れる際、「世界一周の旅が終わったら、また戻って来なさい。」という学校長の言葉をもらい、帰国して半年後にマドリッドへ戻る。そこではキネシオテーピングの講師として3年間滞在。ヨーロッパ各地でセミナーを行う。
帰国後は地元の京都へ戻り、国家資格である、あん摩マッサージ・指圧師、鍼灸師の資格を取得。70年の歴史を持つ老舗鍼灸マッサージ店に在籍。施術業のかたわら新人研修や整体塾講師も担当。
令和元年6月、自宅にて[痛みの治療院サラヴァ! ]を開院。
- 得意なこと
得意な施術は、トリガーポイント療法です。
- 趣味・マイブーム
世界中の音楽を集めるのが趣味です♪ 最近始めた太極拳にハマっています。