宗安寺

3.43
口コミ
6件
写真
37件
住所
滋賀県彦根市本町2-3-7
アクセス

彦根駅から徒歩15分(1.2km)

住所: 〒522-0064 滋賀県彦根市本町二丁目3番7号
TEL: 0749-22-0801 FAX: 0749-22-9881
URL: http://www3.ocn.ne.jp/~souanji/ E-mail: akamon@jasmine.ocn.ne.jp


幕末彦根の左右を決めた寺
 本尊は淀殿の念持仏
宗安寺(そうあんじ)の始まりは群馬県高崎市の安国寺に由来しており、徳川四天王の武将といわれる井伊直政公が深く関わっている。
 直政公は1590年に神奈川県の小田原征伐などの戦いで功績をあげ、同年の徳川家康公の関東入国とともに上野箕輪城十二万石を与えられた。その際、正室の両親の供養のために荒廃していた安国寺を復興した。
 そして、直政公は1600年の関が原の戦いでの勲功を称えられて石田三成公の近江佐和山城の城主に。そこで安国寺も付近にと城のそばに高崎安国寺を分離させて建立。正室両親の戒名を一字ずつとって宗安寺と改名した(住持成誉典応上人が開山上人となっている)。江戸幕府が開かれた1603年、彦根に城を移し、宗安寺も現在の位置に移築された。
 宗安寺は井伊家の強大な保護を受け、家康公死去後、同じ浄土宗ということで家康公の位牌奉安所となり、藩主自ら参拝にくるようになった。また当時、城下町のほぼ中心に位置していた宗安寺は隆盛をきわめ、1695年には僧侶35人・寺男11人・塔頭四庵・末寺八ヵ寺を有し、本山クラスまでになった。
 ところが、1701年の彦根大火で佐和山城正門だった赤門(現存)を残して全焼。翌年に長浜城付属御殿をもらい受け、本堂とした。その後も彦根藩の集会所の役割や藩士の会合、朝鮮通信使の宿、幕末には彦根藩が幕府側か朝廷側のいずれにつくかの会議所などとして使われ、彦根の左右を決める所となっていた。
 本尊は大坂夏の陣で井伊家臣が大坂城の仏間から拝持した淀殿の念持仏と言われているもので、修復の際、『文永七年(2170)……佛子阿澄」と記された写経や写仏が体内から多数発見され、県の文化財に指定されている。また、家康公の位牌を祀る権現堂や先の朝鮮通信使の肖像画(市の文化財)など寺宝も数多い。
(浄土宗新聞 平成7年2月号より)  

口コミ

彦根にある浄土宗のお寺

3.00
投稿日

彦根にあり、初代藩主直政が上野国から移した浄土宗のお寺です。
朱塗りの門があることから赤門と呼ばれる山門が目印になります。
本尊の阿弥陀如来は夏の陣の際に大坂城より持ち出された淀君の念持佛になり、見応えのある、歴史あるお寺です。

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初代彦根藩主井伊直政公が前任地の上野国からいせつしたとされている寺院

4.00
投稿日

初代彦根藩主井伊直政公が前任地の上野国から移設したとされている寺院、京都の知恩院が総本山の浄土宗の寺、門の色が赤い(朱色)ので赤門と呼ばれている
左側に台所に使う材料の搬入口として黒門が残されている (注:黒門の右側にある立札には、ごちそう搬入の勝手口と記されている

1
IBM2025
IBM2025 さん

観光客も立ち寄りやすい立地

3.50
投稿日

彦根市の夢京橋キャッスルロード沿いにある、お寺です。
お土産物店や、飲食店など多数のお店が揃う通りにある、お寺で、観光客も気軽に立ち寄れる雰囲気のお寺です。
立派な観音様や、見応えのある鬼瓦などがあり、境内は、綺麗に整備されており、気持ち良く参拝できる雰囲気がありました。また、厄除猿があり、願いを書いて、ぶら下げて祈願できるとの説明もありました。厄除猿は、500円だったと思います。お寺の近くには、コインパーキングが多数あり、車でのアクセスもしやすく、遠方からも気軽に立ち寄れると思います。

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概要

店舗名

宗安寺

ジャンル

電話番号

住所

アクセス

最寄駅
バス停
  • 池洲町北から120m (徒歩2分)

営業時間

営業時間補足
9:00〜17:00

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公開日
最終更新日

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