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今まで一つのお堂のことを指して寛永寺と思っていたのですが、上野恩賜公園内に点在する観音堂や五重塔をまとめて指しているとのこと。色々な施設があるのでお寺という感じはあまりなく観光地気分で見て回れるからなのか外国人などの姿も多く見られました。徳川将軍の中で6名がこちらに埋葬されており歴史的にも重要な場所となっています。
JRをはじめとする各線の上野駅からは徒歩圏内、駐車場も近くにあるのでアクセス面は特に問題は無さそう。上野公園と同様に桜が非常に綺麗なようなので時期を合わせて訪問してみたいところです。
江戸城の鬼門鎮護の目的で1625年に天海大僧正により創建されたお寺です。
徳川歴代将軍の祈祷寺と菩提寺を兼ね、全盛期は上野公園のほとんどが寺域で、30余の堂塔伽藍と36の子院を誇っていたそうです。
今はすっかりコンパクトなお寺ですが、上野恩賜公園のあちらこちらに名残があるのが見応えあります。

徳川家歴代将軍6人が眠る
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徳川家の菩提寺として造営されたもので、徳川家歴代将軍15人の内6人がここに眠っています。創建当時は現在の上野公園の一部を含む広大な敷地のお寺さんだったが、明治維新の上野戦争で建物の一部が焼け落ち、さらに敷地の大部分を政府に持っていかれたそうです。それでも、現在もたくさんの立派なお堂が残っており、旧本坊表門、清水観音堂など重要文化財に指定されている建物も多く、見所が沢山あります。
怪僧天海が開祖の徳川家の墓所
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江戸時代に天台宗の僧侶天海が
天台宗の本拠地を江戸に造りたいという野望を抱き
目をかけてくれていた徳川家に願い出て
造営されたといういきさつがあり
三代将軍家光の時に創立。
天海は中国の思想、四神相応にて国家の安泰を考え
江戸をその思想に則って造った人物。
いまの芸大の敷地の一部を寺領としたというが
山門から正面に見える根本中堂をはじめ
注意してみると
石灯籠、軒瓦、回廊の柱の先端などなど
あらゆるところに葵の御紋が刻まれているのを見つけることが出来る。
秋口の散歩の途中に立ち寄ったのだが
気付けば不忍池の弁天堂も
この寛永寺のひとつであり
上野公園の中にある五重塔もと
このあたり一体にどれほどの勢力を誇っていたかのか!
静かというありふれた言葉では表現しがたい
格別の空気が境内に満ちてい
散策は言うまでもなく
思索向きの場所に申し分ないと思ったものだ。