混乱を抱えながらも東京オリンピックが進行し、立秋を迎えようとしています。子どもたちも皆このオリンピックを、心にきざんでいる様子です。
自分自身のことを振り返ると、中学2年の時にモントリオールオリンピックがありました。その前のミュンヘンの時は小学4年生でしたから、鮮明に記憶しているシーンはあまりなく、モントリオールではじめて夏のオリンピックをはっきりとらえたように思います。
いっぽうその頃、中学校の国語の先生方が課題図書として推薦して下さったのが、志賀直哉の『和解』や武者小路実篤の『友情』でした。武者小路実篤が亡くなったのはモントリオールオリンピックが開かれた1976年、志賀直哉はその5年前の1971年没ですから、当時中学2年くらいになれば、それらの作品を読むことは、自然な流れだったのでしょう。
そして中学3年で、夏目漱石の『こころ』と出会い、私の文学の方向性は定まったのだと思われます。さらに高校2年の時、中島敦の『山月記』を、生涯の恩師である神奈川県立厚木高校の山本邦夫先生に教えていただき、抜き差しならない李徴の性情、運命に、当時の自分の思春期特有の理不尽な悩みを重ね、いたく感じ入ったことを覚えています。また『山月記』をはじめとする山本先生の国語の授業のおかげで、低迷していた高校での学業成績が一気に改善されたのですから、山本先生への感謝の思いは尽きませんし(数年前に鬼籍に入られました)、中学・高校時代に国語の世界に導いて下さった先生方を思い出すと、本当に良い時代に国語を勉強することができたのだと考えないわけにいきません。
さて、現代を生きる高校生、特に高校2年のみなさんには、「教科書の文章をしっかり読む」ことを、強くおすすめしたいと思います。現在の高校2年生・3年生用の「現代文」「精選現代文」などの教科書には、『山月記』のほか、夏目漱石の『こころ』、森鴎外の『舞姫』が、ほとんど載っています。これらの文章を教科書以外で読む機会は、みなさんにはほとんどないでしょう。先に述べた私の中学・高校時代から、もう四十年以上経っているのですから、当然と言えば当然ですが。しかし古典がそうであるように、長い間読み継がれている名作には、人の一生を左右するだけの力があります。その力を受けとめることのできる幸運が、「教科書の文章を読む」ことに付随しているのです。
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