2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災から、一年と七ケ月が経過しました。発生当日のことは「記録」としてブログに書きとどめ、またその後しばらくの間、諸々の「記述」「表明」をしたほか、別途表現者の営為として故灰田勝彦先生の歌われた佳曲『新雪』をYouTubeに載せることもしましたが、歌人・小説家として作品を書くことは、まだなし得ていませんでした。
理由はいくつかあります。一番大きなところでは、被災された方々、犠牲になられた方々の痛みがまだ生々しい時期に、軽率なことはできないと考えたことが挙げられます。そしてまた、自分の目で被害に遭った場所を見ていないこと、自分自身の思惟・感情が強い衝撃を受けたままでは、落ち着いたものは書けないということもありました。卑俗なところでは、自分の足もとの事業も大きな打撃を受け、立て直しに忙殺された(今もなお、されている)こともあるでしょう。
一方で、時が来れば必ず書く、と決めていたのももちろんです。機縁としては、同人誌『Web頌』を仲間が立ち上げてくれたこと、さりながら5月の創刊号の際は父が他界した直後の締め切りで、全くの新作の執筆はできなかったこと。そして先月、遅ればせながら常磐線の広野駅と、いわき市内をたずねることができ、「自分の目で実地を見る」ことができたので、今回書く「時」がおとずれたのだと言えるでしょう。
とはいえ、今回書いたのは原稿用紙30枚の短編です。テーマ・手法として、寸断された東北沿岸の鉄道路線の復旧にわずかなりとも資するため、若いころ心を解き放ってくれたうつくしい海辺の鉄路のすがたを、青春のタッチで描くこととしました。初回は仙石線野蒜(現東松島市)までです。「鉄路よ永遠なれ」という完成形をめざす短編連作の第一作です。
震災後、私は「自分にできることをしよう」と思いました。同じ気持ちを抱いた方が、多かったと思います。はじめ考えたよりも長い時間がかかりましたが、私はいま本来のつとめとして、書くことで「自分にできること」の端緒にとりかかったつもりです。少しでも多くの方に、お目通しいただけることを願います。
お手数でも、「Web頌(読み方は、オード。変換は、しょう が早いです)」、または「小田原漂情 時きざむ海」などで検索していただき、『Web頌』目次より小田原作品へおすすみ下さい。より簡便な方法を確立次第、この部分を書き換えます。
この場におきまして、改めて、あのとき犠牲となられた多くの方々に、お悔やみを申し上げる次第です。
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