先日実施された、本年度の大学入学共通テスト試行調査の国語の問題をチェックしました。
今回は、第3問で吉原幸子さんの詩とエッセイが出題されたことが、注目すべき変化でした。現代詩が出題されたことは、これまでの大学入試センター試験ではなかったことです(近代詩を含む。手元での確認は2000年以降)。
本コラム(当ブログ)でも何度か触れたことがありますが、難関進学校では、詩(近代詩および現代詩)の授業を行なっていないケースがかなりあります。高校だけでなく、中学1年、2年という、感性のやわらかい年代にも一切教えていないのです。
本コラム(当ブログ)では、昨年5月のモデル問題例の公表時点から、記述問題の内容に関する見解とともに、「文学忌避」の傾向に陥ることへの懸念を、特に中学、高校での国語指導の偏向への心配から、表明しておりました。その意味では、今回吉原さんの詩とエッセイが出題され、昨年につづいて第5問で漢文も出題されたことは、ひとまずプラスの評価をして然るべきことだと思います。
出題全般(第3問の設問ならびに他の大問)についての考察・見解は、機会をあらためて表明したいと思いますが、今日は取り急ぎ、「詩」を学ぶこと、そして教えることについて、すこしお話しさせていただきます。
そもそも、人はなぜ「詩」を書くのでしょう。また、それを読むのでしょう。一般的な散文と異なり、その文体でなければ表現できない、凝縮された(または飛躍しうる)何かが、そこにあるからです。その何かとは、わが日本では千三百年もの昔から詠まれて来た短歌(および他の形式をとる短詩)の部立(ぶだて)に見るごとく、いくつものテーマがあります。そして同じテーマの中でも、表現をする一人一人の、その作品に対する瞬間ごとの感性、理性と思想によって、強いインパクトを読者に与えてくれるのです。
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