ことし、3月11日に、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の発生から満7年を迎えます。言問学舎ホームページの「言問ねこ塾長日記」では、2011年3月11日深夜(日付は12日)から、折にふれて考えるところを書き綴り、同年3月14日には、「やがて、昔日の報恩のために為すべきことは見出されよう。」と記しました。1年半後の2012年秋に、はじめて福島県いわき市に足を運ぶことができましたが、その時以降、震災で亡くなられた方々を悼み、また津波で被災した太平洋岸の鉄道線のすがたを偲ぶ小説『三陸の鉄路よ永遠に−たまきはる海のいのちを』の執筆を開始して、2015年4月に書き上げました。初出誌『Web頌』に、2012年10月より6回にわたって掲載、その都度お知らせした通りです。
津波の被害を受けた沿岸の鉄道各線のうち、気仙沼線の柳津−気仙沼間と、大船渡線の気仙沼−盛間は、鉄道としての復旧が果たされず、BRT(バス高速輸送システム)による代替復旧が固定化されることとなりました。そのこと自体は、用地確保の問題から内陸部への路線の移設が難しいなど、各自治体とも苦渋の選択をされてのことですから、やむを得ないことと思われます。また仙石線の野蒜駅の前後や石巻線終点の女川駅は、内陸部へ移設され(女川駅はかさ上げした土地であり、いずれも筆舌に尽くしがたい労苦の上に成ったものと拝察しております)、往年の姿は失われました。
本作品の執筆中、一年ごとに各線の復旧(運転再開)が実現しました。平成25年4月6日「二.ゆくりなき会い」発表前の3月16日に石巻線渡波−浦宿間が、4月3日に三陸鉄道南リアス線盛−吉浜間が、 運転再開。平成26年4月7日「四.春を呼ぶ風」発表前の年4月5日に三陸鉄道南リアス線が、4月6日に三陸鉄道北リアス線が、全線運転再開。平成27年4月6日「六.志津川の海」発表前後の3月21日に石巻線が、5月30日に仙石線が、全線運転再開といったところです。作品中、昭和58年から62年にかけての仙石線、石巻線、釜石線、山田線、三陸鉄道南リアス線、同北リアス線および東北本線の様子を、綿密に描写しております。失われた鉄道線の姿を、一人の青年の目を通してお読みいただくことができます。多くの方のお目にふれることを願うものです。言問学舎ホームページ「言問文庫〜読み物のページ」にてご覧下さい。
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